ターゲットを設定しない代わりに。

2019.5.24ビジネスの健康, 日々のこと

事業の相談を受けていて、いまだに根強く残っているのが「ターゲットはどこか」という話。
結論から言うと、ターゲットなど設定する方が無駄だ。
架空のターゲットを決めることで、事業者のやりたかった事業はきらめきを失い、理屈で作られた、現実に存在しないターゲットは攻略不可能な強大なラスボスになる。
しかも、時間を追うごとに、この架空のラスボスは姿形を変え、最初に設定したターゲットを攻略できるようになった頃には、本当にどこにもいない人になっている。
ターゲットに翻弄された事業者たちに残るのは、虚無感だけになる。
 
けれど、「ターゲットを設定しないこと」と「人間が何にお金を払うか考えないこと」は同一ではない。
むしろ、前者をしない代わりに、後者である「人間がお金を払うもの」を考えるのはとても大切だ。
 
たとえば、「お金持ちの人」と「お金持ちでない人」のお金の使い方の違い。
モノを得る際に、自分でモノを作る体験にお金を払うのは、「お金持ちでない人」だ。
逆に、お金持ちの人は、素材を加工したモノを提供してくれることを含めた体験にお金を払う。
これは、お金を払うことに対する発想の違いだ。
「そもそも、発想されることが違う」と言った方が適切だろう。
 
たとえば、飲食で言えば、農業体験をして野菜を得ようと思うのはお金持ちの発想にはなく、素晴らしい素材(野菜)を加工(調理)した料理を含めた心地いい体験を提供してくれるお店やスタッフにお金を払う。
だから、農業体験の良さを、お金持ちの人にどれだけ伝えても、知識や情報として伝わるだけで、「そうしよう」という発想になりにくい。
なぜなら、提供してもらうことの良さを知っているから。
そして、料金の高い、安いで価値判断をしていないからだ。
 
ここで事業者が間違うのは、素材を良くしたらお金持ちが来ると思うことだ。
残念ながら、その発想にはホスピタリティが足りない。
事業者ができることを頑張るのではなく、お客さんが心地いいと感じるように頑張ること。
「精一杯頑張っている」のが自分の都合なのか、相手のためなのかが、まったく違うんだ。
 
人間を知ること。
これはどんな事業でも、人にお金を払ってもらうなら考えた方がいいと思う。

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