Archive for 2019

体で覚える。

2019.5.30

先週から通っている鍼治療。
四十歳手前の男が「痛い」と言うのもどうかと思うので、鍼を刺される痛みに耐えていた。
「余裕だぜ」と平静を装っているが、痛みで体は反射的にビクンっ!と動く(ジャンプ反応と言うらしい)。
だから、えせ我慢なのはバレている。
 
初めてのトリガーポイントへの鍼治療だった前回と異なって、今回は「痛み」を知っている。
鍼灸師さんが自分の体に触れ、鍼を打つ雰囲気が伝わると、体の方が「あぁ、来るぞ」と身構えてしまう。
自分にはそのつもりがなくても、鍼を打たれる痛みを体が覚えてしまって、勝手に強張ってしまうのだ。
 
ぼくらの仕事でも「体で覚える」とはよく言うが、リスクヘッジができるのも、危険を体が察知するからだ。
この精度が高まると、「きな臭い」ということが分かるようになる。
相手のしゃべることが「ちょっと出来すぎているな」とか、「そんなウマイ話があるはずもなかろう」と感じることだ。
焦ってしまったりして、この精度が下がると、詐欺に引っかかったりするのだろう。
 
こういった仕事で役立つ「体で覚えた危険を察知する能力」が、今回は反対の意味で作用している。
「うわー、痛いのが来ますよー」みたいにビビっているわけだ。
それでも「痛い」とは言わないで通したのに、治療後のテニスボールを使ったマッサージで思わず「痛い!」と叫ぶ。
痛さのあまり「ヒィタイィ!」だったと思う。
もう、これまでの我慢が台無し。
「歯抜けのヒィタイィデザイナー」、クールさからはほど遠いとつくづく思う。

かなしみを、感じていない。

2019.5.29

瞑想中に「そういえば最近、かなしみを感じていない」と気がついた。
感動して泣くことはあるし、ムカついたり、怒ったりすることも、爆笑することもある。
けれど、「かなしみってどうだったっけ?」と、かなしみについて忘れるほど感じていないのだ。
気だるさも、面倒臭さも、やるしかねーという気合いもあるけれど、かなしみだけ、感じていない。
別に何か問題があるわけじゃないんだけど、何かをポッコリ失っているような。
 
理由を探っていると、歯列矯正のワイヤーが影響してそうだ。
下側のワイヤーは表側についていて、装置の付いていない前歯四本を跨(また)ぐように設置されている。
このワイヤーが、下唇を常に圧迫し、軽いしゃくれのようになっている。
これに意識を持っていかれる。
 
爆笑したり、怒ったり、感動しているときは、このワイヤーの圧迫感は忘れている。
ということは、「かなしみ」は、この圧迫感を超える感情ではないということか。
性質なのか、量なのか、超えていない事実だけが横たわっている。
この感覚は、忘れない方がよさそうだ。

ナイスな先人たち。

2019.5.28

とてもいい本。めちゃくちゃ恐れ多いけれど、自分がどの先人と考え方ややり方が近いかを知るのにも勉強になるし、なによりも、全員、ナイスな人たちだなー。だから、読んでいると、雑談の現場をちょっと離れた横っちょから、「ふむふむ、うぉー、うっひっひ」と、自分も聞いているような心地になる。
 

問題があったら。

2019.5.27

昨日の投稿で、「信じるよ」と言うことについて書きましたが、この背景にあるのは「問題があったら、それも受け入れる」ことだと思いました。
ほんの数年前までは、ぼくもこれを含めて依頼をしていなかっです。
だから、「思っていたのと違うなー」ということが起きたら、そのことについて追及していたはずです。
そうなった理由を知ろうと質問しているようでも、「ちげーじゃん」の方が強いような。
 
今でも「ちげーじゃん」ということはあります。
けれど、それで本当に問題にならないのであれば、思っていたのと違うことを受け入れることの方が、大事な気がしています。
思っていた通りでしか事が運ばないなんてつまらないだろうし、世の中、そうじゃないことの方が多いってことが分かったんだと思います。
それよりかは、「思っていたのと違うけど、これもありだな」というときは、素直に上がってきたものを受け入れちゃった方が、セレンディピティになるのかもしれません。
偶然、幸運を楽しめ。

任せるよ、信じるよ。

2019.5.26

人に「信じるよ」と言うときがあります。
これを言う一瞬間前、言われる人の表情に「この人(江口)、何でこんなに、自分が言うことを真に受けるんだろう」という、ささいな困惑を読み取ります。
この困惑の表情の前には、ちゃんと彼や彼女は、ぼくに説明をしてくれるし、素人の質問にも答えてくれています。
だから、何かを進めるときに、提案するもので進めていいかの確認をとってくれるのですが、そういうときのぼくは大抵、「任せるよ」と言います。
 
ただ、一度ならまだしも、「OK、任せるよ」という返事が多くて、困惑の表情になっているようです。
ま、こっちは理解して、納得した上で返事をしているから、ミスがあったとしても受け入れますが、世の中はそうじゃなくて、自分の思った通りにことが進まないと文句を言う方が多いのでしょう。
文句を言う人が多い中、「任せるよ」と返事を繰り返す相手と遭遇すると、ちょっとびっくりするんだと思います。
 
これに気づくようになってから、「大丈夫、あなたの言っていることは納得しているし、ぼくは素人だから、あなたの言っていることを信じるよ」と言うようにしています。
そうすると、ハッと気づいたように、背筋をしゃんと伸ばす雰囲気に変わるんですよね。
おそらく、ここで背筋を伸ばせない相手には、ぼくも言わないんでしょうねー。
 
話を聞いて、相手を信じること、そして、悪意に翻弄されないこと。
三十代も後半になって、この精度がようやく高まってきた感じがしています。
二十歳の頃から作品を売ることをしていて、十七年は費やしている訳です。
子どものように無力になって、相手に委ねること。
これを今の年齢までに身につけられて良かったと思っています。
ま、この先の次元もあるような気がしています。
それは、これを繰り返すことで気づく次元なんだろうなぁと思っています。
セルフマネジメントはおもしろい。