Archive for 2019

好きと楽天的。

2019.7.9

四十歳を前にして、寒天が好きだと気づいて良かった。
寒天や寒天のようなものが、とても好きだ。
寒天に黒蜜をかけたものを筆頭に、牛乳寒天、杏仁豆腐、水羊羹、葛切り、水饅頭などなど。
便利だとか、ヘルシーだとか、そんなことじゃなくて、ただ生理的に好きなんだ。
好きなことに理由なんてない。
すごいことに気がついてしまったから、もう一回言っちゃおう。
好きなことに理由なんてない。
 

楽天的に生きようと思った。
『しらずしらず』という本を読んでいて、人間は無意識に自分が望むような選択をすることを、改めて知った。
どれだけ情報があっても、どれだけ客観的に判断していると思っていても、自分の都合がいいように、自分が望む方を贔屓して、判断をしている。
それが人間なんだ。
そして、自己分析が優れている人ほど、自分を否定的に見て、鬱になっているとも。
物事を否定的に見ている人は、無意識に否定的なことを望んでいるだけで、無意識に幸せを望めば、楽天的に物事を見る。
「自分の事業は成功する」と無意識に思っている人はすべてがチャンスに見えるし、逆に、あれもこれも乗り越えなければいけない壁と感じる人は「自分の事業は失敗する」と無意識に思っている。
「失敗する」と思っているから、「成功させたい」と思うのだ。
「成功する」、ただそう思って行動すればいい。
クライアントから悪いことが起きたと伝えられたとき、「逆にありかもしれませんよ」と言っていたが、これを自分にもやってしまえばいいんだ。
俺は、これから楽天的に生きる。

学生のタイミング。

2019.7.8

学生へのアドバイスをひとつ挙げるのなら、「友人と何か活動をしていて、将来、それを仕事にしようと思っているのなら、今のうちに起業した方がいい」ということだろう。
起業したところで、仕事があるかどうか、仕事になるかどうかは分からない。
だが、これについては、どの仕事、どのタイミングにおいても同じことが言える。
 
同じではないのは、「成長後の姿」だ。
 
当時、一緒に活動をしていた友人たちの現在の作品を見ても、当時思い描いていた成長の姿を見ることは難しい。
それは相手も同じことなのかもしれない。
当時は、友人であり、仲間でもあった関係が、今では友人という関係に収まり、仲間として仕事をするには、物足りなさを感じるだろうと予測がついてしまうのだ。
それぞれの成長を夢見て一旦離れ離れになった間に、「依頼すること」を覚えてしまったのだ。
思い描いたものを実現するために、足りないピースがあるのなら、実現出来そうな人や企業に依頼をすればいい。
これを覚えた後では、青春時代を共に過ごしたというだけでは、自分を納得させるにはあまりにも弱すぎる口実なのだ。
 
人生は自分の思いも寄らないことが起きて、予想していた将来と異なることが起きるものだが、こればっかりは「目測を誤った」と思っている。
自分が写真家になることも、再独立することも、それを始めた当初はその道を選ぶとは思ってもいなかったが、その都度、「まあいっか」と納得していた。
だが、一緒に活動していた友人たちと、「また会おう」と離れ離れになった後に待ち受けていた姿には、「ああ、やっちまった」と思った。
成長の過程で、「ライスワーク」と「ライフワーク」のバランス、「業務」と「使命」のバランスが大きく隔たってしまい、同じ熱量や同じ言葉で会話をすることができないのだ。
そして、このバランスの隔たりを、取り返すほどではないことに「なってしまっていた」ことに、自分の至らなさと寂しさを感じるようになる。
  
だから、学生同士で活動をしていて、将来も同じことを見据えているのなら、このタイミングで一緒に起業しなきゃ、違う人を選ぶことになる、とだけ言っておく。

仲介料を取らない理由(業務と使命)。

2019.7.7

人を紹介するときに、紹介料や仲介料をもらっていないことを伝えると、この仕事をしている人からは大抵驚かれる。
先日も、「自分は何もしないのに、それ(仲介料)だけで生活している人もいる」と話していた人がいた。
正直に言うと、仲介業はあってもいいと思っている。
だが、仲介した後、何も貢献できていないのに報酬を取り続けるのなら、それは悪い仕事のやり方だ。
 
ちなみに、ぼくが紹介や仲介でお金をもらわないのは、ちゃんと理由がある。
仕事というのは、感謝の印が報酬となる。
ぼくらで言うと、デザインやアートを仕事として、クライアントの課題を解決したり、新たな発見を与えたり、育てるなどの結果、クライアントから感謝をされて報酬を得る。
アートにおける作品を買うというのは、ユーザーが感動したことの感謝の印だ。
そして、一通りの業務における関係性は終了となり、報酬以上の感謝になると、クライアントやユーザーとの関係性は継続する。
そのため、仲介の場合、感謝をされるのは紹介された者同士だ。
ここで仲介者が仲介料を取ると、紹介された同士はその後、仲介者を挟まないで関係性を築く。
どんなに仲介者がルールを設けようとも、破られるのがオチだ。
破られなくても、破られる背景となる心情を表すように、仲介料を取っている仲介者は「仲介しているだけ」と言われてしまう。
 
これを感謝の評価に変えたいのなら、仲介料を取らないことだ。
すると、「いい人を紹介してくれた」という評価になる。
紹介した人がいい働きをしなければ、紹介者も仲介者も悪い評価になるのは、仲介料を取ろうが、取らなかろうが変わらない。
しかし、仲介料を取ると、紹介した人がいい働きをしても、仲介者のことは忘れ去られているか、「それが仕事だろ?」という評価になる。
そして、関係性は紹介された者同士の方が強い。
結局、仲介料で稼ごうとすると、その場限りの関係性になるものだ。
 
それでも、業務としても、使命としても、仲介することが自分の仕事だと思っているのなら、これを仕事とすればいい。
ぼくは思わないから、紹介や仲介で報酬を得ようとしないだけだ。
ちなみに、印刷関係においても、印刷の元となる版下制作料やコミュニケーションの代行料を報酬とし、印刷費は印刷会社のものをそのまま伝えるようにしている。
これも、同じ理由だ。
 
ぼくの業務は、デザインとアート。
だから、それに関わる業務、ディレクションや実作業において報酬を得る。
そして、歴史を引き受けて、ちょっと良くして次の人たちに渡すのが、ぼくの使命。
だから、報酬を得ようが、得まいが関係なく、ぼくはこのことに関することはやっている。
度重なるお節介も使命としての仕事だし、頑固と映るようなこと、ディレクターやアーティストとは思われないことをやるのも、ぼくの使命としての仕事だと思ってやっている。
「業務としての仕事」と「使命としての仕事」。
これを考えているかどうかで、人生って決まってくるような気がしている。

ハトライアングル

2019.7.6

今日一番の感動。

ぶどうの畑。

2019.7.5

日本にいながら、日本じゃないような景色というのは、贅沢なことだなあと改めて思った。
純日本風の景色も好きだけど、たまにはこういう景色と出会うのも、いいものだ。
どっちが優れているかなんて馬鹿げたことは、もう随分としていない気もする。