仲介料を取らない理由(業務と使命)。

2019.7.7ビジネスの健康, 日々のこと

人を紹介するときに、紹介料や仲介料をもらっていないことを伝えると、この仕事をしている人からは大抵驚かれる。
先日も、「自分は何もしないのに、それ(仲介料)だけで生活している人もいる」と話していた人がいた。
正直に言うと、仲介業はあってもいいと思っている。
だが、仲介した後、何も貢献できていないのに報酬を取り続けるのなら、それは悪い仕事のやり方だ。
 
ちなみに、ぼくが紹介や仲介でお金をもらわないのは、ちゃんと理由がある。
仕事というのは、感謝の印が報酬となる。
ぼくらで言うと、デザインやアートを仕事として、クライアントの課題を解決したり、新たな発見を与えたり、育てるなどの結果、クライアントから感謝をされて報酬を得る。
アートにおける作品を買うというのは、ユーザーが感動したことの感謝の印だ。
そして、一通りの業務における関係性は終了となり、報酬以上の感謝になると、クライアントやユーザーとの関係性は継続する。
そのため、仲介の場合、感謝をされるのは紹介された者同士だ。
ここで仲介者が仲介料を取ると、紹介された同士はその後、仲介者を挟まないで関係性を築く。
どんなに仲介者がルールを設けようとも、破られるのがオチだ。
破られなくても、破られる背景となる心情を表すように、仲介料を取っている仲介者は「仲介しているだけ」と言われてしまう。
 
これを感謝の評価に変えたいのなら、仲介料を取らないことだ。
すると、「いい人を紹介してくれた」という評価になる。
紹介した人がいい働きをしなければ、紹介者も仲介者も悪い評価になるのは、仲介料を取ろうが、取らなかろうが変わらない。
しかし、仲介料を取ると、紹介した人がいい働きをしても、仲介者のことは忘れ去られているか、「それが仕事だろ?」という評価になる。
そして、関係性は紹介された者同士の方が強い。
結局、仲介料で稼ごうとすると、その場限りの関係性になるものだ。
 
それでも、業務としても、使命としても、仲介することが自分の仕事だと思っているのなら、これを仕事とすればいい。
ぼくは思わないから、紹介や仲介で報酬を得ようとしないだけだ。
ちなみに、印刷関係においても、印刷の元となる版下制作料やコミュニケーションの代行料を報酬とし、印刷費は印刷会社のものをそのまま伝えるようにしている。
これも、同じ理由だ。
 
ぼくの業務は、デザインとアート。
だから、それに関わる業務、ディレクションや実作業において報酬を得る。
そして、歴史を引き受けて、ちょっと良くして次の人たちに渡すのが、ぼくの使命。
だから、報酬を得ようが、得まいが関係なく、ぼくはこのことに関することはやっている。
度重なるお節介も使命としての仕事だし、頑固と映るようなこと、ディレクターやアーティストとは思われないことをやるのも、ぼくの使命としての仕事だと思ってやっている。
「業務としての仕事」と「使命としての仕事」。
これを考えているかどうかで、人生って決まってくるような気がしている。

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