Archive for 2018.11

秋のアレルギー。

2018.11.5

いやー、参りました。
鼻水とくしゃみが止まりません。
土曜日から出始めたと思ったら、日曜日も止まりません。
寒さで出ているのか、乾燥からくるホコリっぽさで出ているのか、秋花粉で出ているのか、さっぱりわかりません。
目も若干おかしいので、アレルギーだろうとは思うんですけどね。
こうなると、考え事はもうできなくなります。
「もうちょっと寛容になってもいいんじゃないか、俺の体よ」と思うだけです。
異物があるのはわかっているけれど、異物に対して働きすぎじゃないかね。
と書いていて気づきました。
ぼく自身が働きすぎなんだと。
もうちょっと休んだら、アレルギーもよくなるんですかねぇ。
普段よりも短いですが、今日はここまでです。

自分へのいたわり。

2018.11.4

毎月はじめに通っている根津神社。
かれこれ一年半ほど通っていると思います。
参拝しに行っているのですが、寄り道のお昼ご飯や、休憩のお茶もひとつの楽しみです。
お茶の方は、「ここがいいね」というお店を見つけていたのですが、ご飯の方は難航していました。
 
それが、先月、見つけたのです。
釜飯と焼き鳥のお店で、人気店らしく並んでいる方もいます。
先月はひとりで食べて「満腹、満足、ふふふ〜」と浮かれました。
 
そして、今月は妻を連れて行く日でした。
この人を納得させることができなければ、振り出しに戻ります。
ま、そんな大げさなことではないのですが、「美味しいお店を見つけた」と前口上をしていた方としてはね、ちょっとあるじゃないですか。
けれど、ぼくは美味しいのを知っていたから、今回は焼き鳥も注文して、季節の釜飯以外にも焼き鳥を注文しちゃいましたよ。
結果は、快勝です。
 
ぼくらのなかで美味しいお店の基準になっている、「広島のあなご飯を出してくれる小料理屋さん」があるのですが、妻の口から「そこと匹敵する」という言葉をもらいました。
その言葉と一緒に、「働いているのだから、これぐらいのものを食べたい」という言葉を聞いて気づきました。
 
働くって、食うことでもあるよな。
いい働きをしているのなら、うまいものを食べよう。
これは、働いてくれた自分へのいたわり。

雑多はいい。

2018.11.3

雑多をつくれないかとよく思う。
雑多はいい。
雑多は賑わう。
賑わいは多くを生む。
しかし、雑多を適切につくるには、筋を一本通さないといけない。
筋のある賑わいは文化になる。
これがデザイン。
いや、困った。
大変だな。
 
こういうメモを書きました。
ぼくの引き受ける仕事は、これからの日本の文化や風土をつくる仕事が多いです。
これらの仕事をしているときに、よく考えることが先述のメモです。
賑わいと喧騒はちがいます。
静かに見えるものにも、売れているものには、ちゃんと賑わう部分があります。
人で賑わっているようなところでも、暴力や犯罪に巻き込まれないで賑わうことができる場合も、ちゃんと一本の筋が通っています。
どちらも、一本の大きな筋が通っています。
一本の大きな筋が、枝分かれして、また小さな賑わいをみせます。
こういったことを事業者といっしょにつくっていくのが、ぼくの仕事です。
大変なんだけど面白い。
だから、引き受けるんだけどね。

上に立たない。

2018.11.2

ぼくはデザイナーだったり、写真家だったりしますが、コピーライティングもします。
いやね、ぼくなんかが「やってます」って言うのもどうかと思います。
それでも、これからはじめる人がいるのなら、聞いといてもいい話をします。
もちろん、依頼人もです。
 
早速ですが、ライティングをするときに、ぼくが気をつけているのは、「上に立たない」です。
依頼人と打合せをしていると、依頼人の口から「こだわって」「丁寧」「真面目」「感度が高い」「角度が高い」「必要とされている」などの、自身の事業のことを評価する言葉がでてきます。
もちろん、「いい」と思って事業をやっているはずですから、そういった言葉がでてくるのはとても自然なことです。
 
ですが、一歩外に出たら違います。
丁寧かどうか、真面目かどうか、感度が高いかどうかは、他人が評価することです。
自分の口から言うことではありません。
 
むしろ、口にしてしまうことで、他の業者のことを下げてしまいます。
地方であれば、他の地域のことを下げてしまう。
人であれば、他の人のことを下げてしまう。
そういう広告や宣伝が多いでしょう。
 
けれども、本当に「いい」ものを提供して、「適切に」伝えていれば、人はちゃんとキャッチしてくれるのです。
大きく見せなくても、良さそうに見せなくても、ちゃんと「いい」ものとして受け取ってくれるのです。
本当に「いい」ものを提供しているのなら、「適切」に伝えて、受け手を「信じる」。
 
テクニックというほどのものではないですが、これがぼくのやっていることです。
だから、まずはぼくが「いい」と思えなければ、書けないんですけどね。

残すもの。

2018.11.1

こういうことは口に出さない方がいいのでしょうが、今後の自分にとって大きなことでもあるので書いとこうと思います。
7月に父親が亡くなって、今月、父がちょっと残してくれていたものが、ぼくのところに来ました。
そうして引き継いでみると、「あぁ、本当に親父は死んだんだ」と実感しました。
病院のベッドで息をしていない姿を見たときよりも、火葬場で焼かれた骨を見たときよりも、父の死を実感しました。
 
引き継ぐ前日に、ぼくは入籍しました。
家族が増えた日です。
7月に家族が減り、10月に家族が増えました。
7月に家族が減り、10月に家族が増え、減った家族のものを受け取りました。
 
こういうことが連続すると、「自分は何を残せるか」を考えてしまうものです。
仕事であれば、いつも考えていることなので簡単です。
 
「歴史を引き受け、ちょっとよくして、次の世代へ渡す。」
 
これをプライベートにするとどうなるのだろうか。
考えてみると、けっこう難しい。
まぁ、少ないけれどお金は残せるとして、困った時の考え方のようなものは残せるだろうか。
いや、残せるものがあると考える方が、おこがましいのかもしれないな。
そうやって考えていると、残すものを残せた父は、すごいなぁと感心しました。
さて、この結論はどうなることやら。