Archive for 2018.10

ふざける天才になりたい。

2018.10.11

昨日ツイッターで「むずかしいことを言うのか、いや、かんたんなことを言いたい、むしろ、ふざけたことを言いたい。」と書きました。
 
打合せをまじめそうに切り抜けるのは簡単だ。
腕組みをして、難しい顔をして、得意としていることを述べればいい。
もしくは、グラフかなんかを出して、数字を言っていけばいい。
些細なことまで口うるさく言えば、さらに賢そうに見えます。
そんな打合せがたくさんあるでしょう。
 
けれども、そんな打合せはつまらないし、堂々巡りなんですよね。
本当は、いつまでたっても机上の空論なことには変わりはないですし。
取らぬ狸の皮算用とはよく言ったものです。
 
本当に賢い人と話していると、根幹だけこだわって、些細な違いはどうでもいいことに気がつきます。
めっちゃゆるいように見えるのです。
 
と、ここまで書いておきながら、この内容も、ふざけてないなーと気づきました。
ふざける天才になりたいです。

畑のおしゃべり。

2018.10.10

落花生の試し掘りからの収穫。
落花生を外しているとおっちゃん達が寄ってくる。
収穫の目安がわからないとのことだったので、作業しながら教える。
 
というぼくだって、去年は何もわからない人だったじゃないですか。
何でもはじめは素人。
いま仕事にしていることだって、はじめは素人で何もわからなかった。
知ることで、応用ができているにすぎない。
 
知っていることをそのまま使っているのは応用ではない。
物知り博士も、しゃべりが上手くなければ、単なる嫌な奴になるかもしれない。
機転を利かせるしゃべりで、物知りはお笑いに変わることができる。
 
畑の中のおしゃべりは、みんな笑顔になっている。
 

放っておく。

2018.10.9

A「風邪の症状で医者の診察を受けているのに、『水風呂に入りたい』という患者」
B「風邪の処方箋を出されているのに、勝手に水風呂に入ってしまう患者」
 
AとBの差はありますが、依頼仕事をしていると、こういう依頼人とよく出会います。
デザインとか、コピーライティングの場合は、かなり多いかもしれません。
一応、止(と)めますが、やるかやらないかを決めるのは依頼人なので、その先は好きにさせます。
その結果がどうなろうと、こっちは知ったこっちゃないです。
契約書にもこの旨は書いています。
 
この頻度が多いと、契約を終了します。
ヤブと噂が立っても困るので。
 
なぜ専門家に依頼しているのか、理解しないまま依頼するとこうなっちゃいます。
ぼくだけかと思ったら、どんな大手事務所や大御所にも、こういう依頼人は後を立たないようなので、依頼人をどうにかしなきゃいけないんでしょうね。
 
ぼくが誰かに依頼するときは、自分ができないことを理解した上で依頼します。
時間がなくてできないことも、能力が足りなくてできないことも、「できない」ということにおいては同じです。
専門家としてやってくれていると、信じて任せるしかないのです。

いいお菓子といいお茶。

2018.10.8

ぼくは「お茶の時間」が好きなのだなぁ、と思いました。
「お茶の時間」は「お菓子の時間」でもあります。
昼寝も好きですが、近くに飲み物を倒れないように置いていたりします。
ちょっと話がそれましたが、喫茶店でお茶をするのも好きだし、自宅でお茶を淹れてひといきつくのも好きです。
 
甘味は手作りだったり、いいお菓子の方がいいです。
いいお菓子には、いいお茶を合わせたくなるでしょう。
いいお菓子といいお茶を目の前にして、集中モードで仕事はできません。
本当にひといきつくことができます。
 
もしも、お茶とお菓子があっても、仕事をしながら食べるようなことになるのなら、心の状態はあまりいいとは言えないです。
いいお菓子があるのなら、いいお茶を淹れて、ひといきつく。
こういう時間を、もっと増やしていきたいです。

にゃんこ先生はかわいい。

2018.10.7

キャラクターって強いな〜と度々思います。
 
『夏目友人帳』の映画を観てきたのですが、この中で登場する「にゃんこ先生」というキャラクターが、とても魅力的なのです。
丸々していて、コミカルに動いて、愛くるしい。
これを実写で想像すると、不健康なほど太った猫です。
単なる太った猫。
二次元のキャラクターだからこそいきいきする要素が、ふんだんに盛り込まれた猫なのです。
 
そういえば、ぼくの仕事ではキャラクターは一度も登場していません。
それは、キャラクターの強さは二次元的だからです。
生活の現場や、仕事の現場など、デザインが作用するシーンは、生活者の日常になります。
だから、作用にもリアリティが必要になります。
 
二次元的な側面を否定しているのではありません。
ぼくらの仕事の範囲として、二次元的な側面を強調するのは、生活者に根付かないものになってしまうのです。
 
仕事でつくらないからこそ、ぼくはキャラクター的なものが好きなのかもしれません。