Archive for 2018.6

前のめりの角度。

2018.6.5

昨日は「なんとなしに寄る」と「ぶらっと寄る」が混ざった表現になってしまったけれど、どちらも「行こうと思ったときに近くにある」ことが重要なんだ。
 
昔、池袋に頻繁に通っていた頃は百貨店に、ぶらっと寄っていた。
僕の家族は東武派だったけれど、僕は西武、パルコ、P’(ダッシュ)パルコのいわゆる東口系に通っていた。
タワーレコードがあったり、本屋があったり、無印良品やロフトに立ち寄って、ついでにアパレルのテナントにも、ぶらっと寄っていた。
音楽を聴こうと思ったり、立ち読みしようと思ったら、ぶらっと寄ってみる。
 
ジュンク堂にも通っていたけれど、ジュンク堂を訪れる際は「これを見て(読んで)買う」という目的があった。
調べ物をするときに図書館へ訪れるのと同じだ。
前のめりの角度がある。
 
池袋にあったタワーレコードに訪れるときは、前のめりの角度がゆるくなっていただろう。
近所のコンビニに「なんとなしに寄る」ときは、前のめりの角度はない。
この気持ちの軽さはとても違う。
 
インターネットを介して、どこかや誰かの文章に触れるときも、この軽さがあるだろう。
僕はこの軽さを提供してくれる人たちに愛着を抱いている。
僕もこうありたいとさえ感じている。
(自分の言葉に酔って、大げさに書いてしまった)
ただ、これだけは確実に言える。
 
近所のコンビニよ、なんとなしに寄れるように開いてくれて、ありがとう。

なんとなしに寄れる安心感。

2018.6.4

昨日、「考え事したいときに喫茶店に寄るような。」と書いたけれど、「なんとなしにコンビニに寄るような。」の方がしっくりくるな、と思った。
そのためのコンビニってどんなコンビニだろうか。
「なんとなし」に寄るんだから、ぶらっとできなきゃいけない。
でも、スーパーマーケットにぶらっと寄ることは少ないような気がする。
駅ビルの百貨店も、ぶらっと具合は減るような気がする。
 
おそらく、「立ち読み」がすぐにできるということが、ぶらっと寄るになっている。
しかも、本屋ほど種類が揃っていない。
雑誌や漫画があるのがちょうどいいんだ。
子どもの頃からコンビニで立ち読みしていたからわかる。
 
いつの頃からか、立ち読みができないコンビニが増えてきているけれど、入ってすぐに陳列する意味はないと感じている。
本や雑誌をきれいに買いたいのなら、今だったらAmazonで買ったり、Kindleの方がいい。
ぶらっと寄って、立ち読んで、「おっ」と思って、「今買うかなぁ、どうしようかなぁ」とぐずぐずしてから、「やっぱ買っとこうっと」となるのが、近所にあるコンビニの理想だ。
 
すると、ついでに飲み物や甘味も買っちゃって、少しでも売り上げ貢献したくなるんです。
店員さんにも愛着が湧いてね。
「なんとなしに寄れる安心感」って、すごい寛容さだなぁ。

頻度は上がるのか?

2018.6.3

毎日ホームページを更新するって、「ほっとする」をくれるんだ、と思った。
「毎日更新する」ってことを知っていると、ちょっとしたときに「寄れる」んです。
考え事したいときに喫茶店に寄るような。
一昨日まで二週間ほど家の前にある図書館が閉まっていて、寄りたいときに寄れないことの苦しみを味わいました。
(大げさ)
毎日絶対に必要なわけじゃないのに、寄りたいときに開いているって嬉しいんだなぁ。
これは「便利」というよりも、「よりどころ」としての安心感だろう。
 
最近また「ほぼ日」を見るようになって、今日これに気付いて、以前友人に言われたことを実感しました。
昔、と言っても数年前に、ぼくは毎日ブログを更新していました。
写真家の友人はこのブログを読んでくれていて、人に紹介してくれるときに「内容はよくわからないけれど、毎日更新しててすごいんすよ!」と言ってくれていました。
当時は、「物怖じしてしまう人をちょっとでも応援できるような」という使命感も混じって書いていました。
 
だから、よくないね。
 
今は応援よりも、「ま、いいんじゃない」程度の気持ちで書いています。
「生きるあるある」で書いています。
「仕事あるある」でも書いています。
「人生あるある」なんですけどね。
毎日は無理かもしれないけれど、更新の頻度を上げてみようと思います。
(上がらなかったら、ごめんね)

腑に落ちた話。

2018.6.1

友人や仲間と何かをするなら、世間一般から無駄だと思われるようなことをやりたい、と思った。
いや、むしろ、したいんだな。
いまの世の中「こうしたらウマくいきました」、そんな話で溢れている。
「効率的な方がいい」「効率だけじゃない」、うん、どちらも正解。
どっちも大事でしょう。
 
平日に畑に出ていて一番いいのは、「クリエイティブディレクターって、こんなことしないよね」ということかもしれない。
「もっとやることあるでしょう」みたいな。
夢の中でも仕事をしている俺の、唯一の「ヌキの時間」かもしれない。
(カッコつけました)
もちろん、「自然栽培の飲食店を併設するにあたって、野菜を育てることをもっと実感しておきたい」ということもあります。
でも、これだけじゃ優等生すぎるでしょう。
 
人間ってもっと、ぐにゅぐにゅ、ふにゃふにゃ、しているものでしょう。
利益だけを求める人間(社会)って、手に取るように分かりやすくてつまらん。
(本当はもっと複雑ですから)
自分の求めていることだけで生きている人間ってのも、もろい。
 
最近読んだ、岩井克人さんの経済学の話は、とても腑に落ちたな。
「人間はウソをつく」って素晴らしい。
経済学で、これを言っちゃうなんて。
そりゃ、経済を予測しても当たらんわな。
それでも、経済を研究するんだぜ。
とても途方も無いことじゃん、すげぇよ、面白いなぁ。
彼の本をいろいろ読んでみます。