Archive for 2018

仕事の会話。

2018.11.21

年寄りがいる企業はいい。
この年寄りが、自分を年寄りだと思っていると、なおのこといい。
この年寄りが若者に負けないと思っているのは、いいことではない。
年寄りのいない企業は、さらに悪い。
 

デザインとかクリエイティブ関係に特化している人たちと話すと、ずいぶんとマーケティングの悪口を耳にする。
同様に、マーケターは数字に言葉を乗せすぎている。
ぼくはマーケターは必要だと考えている。
しかし、数字の扱いの上手いマーケターが少ないことと、会話が下手なマーケターとデザイナーが多いことが問題なのだ。
相談をして、返ってきた答えを信じる。
専門家との会話は、これが基本となる。
基本を破るから、互いを必要としなくなるのだ。
相談と議論は違う。
会話を議論と思っていたら、会話はつまらないものになる。

ものごとの幅。

2018.11.20

何かを進めるとき、「ものごとの幅」が分かると進めやすい。
致命的な欠陥、許容範囲、及第点、極めて優れている……。
ものごとというのは、必ず、こういった評価がある。
 
そして、何かを進める上では、これらの境目が分かるようになるのが、「ものごとの幅が分かる」ということだ。
致命的な欠陥は、けっこう多くの人が分かるが、許容範囲となるのかどうかは、ある程度の経験を積まないと分からない。
批評家じみた人だと、許容範囲の点を欠陥として、目くじらを立ててしまうものだ。
ある意味正論なので、聞き入れようとすると、ものごとが進まなくなる。
違いのわかる男(女)を気取っている人も、ここに陥りやすい。
 
もうひとつ、「極めて優れている」も、実は危険なのだ。
お客さんとなる人が、減ってしまう。
これを考慮して、「極めて優れている」を作らないと、作れば作るほど赤字になってしまう。
売れないからね。
 
つまり、何かを進めるときには、「許容範囲以上、極めて優れている以下」の幅を、どこに持ってくるかを見極める必要がある。
人は高めに設定したくなるものだが、その分のコストを支払う覚悟はあるのだろうか。
作れない人や考えていない人ほど、高めに設定してしまうものだ。
経験値が邪魔をするときもあるけれど、これも幅なんだよね。

堤清二さんの影響。

2018.11.19

いろいろな人の影響を受けているけれど、殊に、事業や経営と生活者への姿勢は、堤清二さんの影響を色濃く受けています。
直接お会いしたことは、もちろんありません。
しかし、考えてみるに、影響を受ける要因はたくさんありました。
 
地元には西友があり、毎週のように母親の買い物についていきました。
中学以降の遊び場は池袋の東口、つまり、西武とパルコがある方です。
渋谷パルコをはじめとした渋谷の文化は、思春期時代を象徴しています。
ロフトに、無印良品。
J-WAVEに、クアトロ。
 
相対するダイエー、東急ハンズ、ユニクロ、メゾンブランド、古着などもたくさん触れたし、影響を受けていますが、事あるごとに堤清二さんからはじまった事業に触れて育ってきました。
そして、いま住んでいるマンションの隣は、ファミリーマート。
出来過ぎなほど、セゾン・グループだった事業に触れています。
それほど、セゾン・グループは巨大でしたし、ユニークだったし、文化を創り出していました。
 
経営者として堤清二さんのことを知るたびに、彼の理想としていたことが、すんなりと腹落ちするのは、生活者として、彼の理想に触れて育ってきたからと言えるかもしれません。
けれども、バブル崩壊後のグループ解体も、大人になるにつれて知りました。
 
事業として継続して儲けることを蔑ろにせず、それ以上に、事業として文化形成し、生活者に自由を与えることを追い求めるのは、いいも悪いも完全に彼の影響です。
写真でもデザインでも、仕事をしていて、経営者たちと会話ができているのは、彼の思想に触れてきたからです。
もちろん、数字を追い求める方々とは話は合いませんが、自信を持って断ることができるのも、この思想のおかげです。

めんどうくさいもの。

2018.11.18

「めんどくさいものを作りたいんだろうなぁ、俺よ」
 
こんなことを考えていたら、今度はじまる仕事は、まさにそういう仕事です。
命の時間が通うような、これが含まれているようなクリエイティブになりそうです。
 
AIがどうとか、人間がどうとか、メソッドがどうとかではなく。
文化という切り口で、社内文化を語るようでもなく。
 
事業とは、こういうものだったという形。
コミュニティとは、こういうものだったという形。
これらが、今の形、これからの形として、世の中に浸透するような仕事。
 
こういう仕事を依頼されるようになってきているので、自分のやり方を、ちょっとだけ信じてもいいかな、と思えるようになれました。

いくつかの気づき。

2018.11.17

湯船に浸かりながら、ここで書く内容を考えようとしていたのに、全然思いつきませんでした。
最近、こういう日が続いていました。
ネタがないのではなく、書くことを考えられない状態だったのです。
 
そして今日、「そうか、忙しいのか」と気づきました。
仕事は順調です。
ぼくらの仕事で「順調」ということは、案件で日々が動いているということです。
デザイン会社にいた頃の忙しさにならないようにと、案件数を調整しているので、時間的な切迫感はないです。
体力も平気。
 
つまり、「忙しさ」は、時間とも、体力とも違うところから来ているようです。
ということは、感情です。
「心が疲れてしまっているのか〜」と、書きながら気づきました。
充実感はありますが、発見がないことと、そっちに意思決定しちゃうか〜、ということの連続だったような気がしています。
レベルもひとつひとつ上がっていますが、誰かとの化学反応でレベルが上がるのではなく、自分の挑戦で上げている感じです。
だから、今までとやっていることは変わりません。
 
クリエイターだったらしないようなことと、遭遇しすぎてしまったのか。
これについては思い当たる節は多いので、あとはどう対処していくのか。
こういうことになっちゃうのかなぁ。