Archive for 2018

専門家の職業倫理。

2018.6.29

誤解のある言い方からはじめるけれど、ぼくは、相手によって話し方が変わっています。
話の軸は変えないけれど、話し方の丁寧さや、熱の込め方や、相手への攻撃性など、話す相手によって、変わっていると思います。
むしろ、初対面のヒトの方が、一律の話し方になっているような気がしています。
 
というのも、ここ数年で気づいたのですが、相手の対応によって、相手に対する信頼が、プラスにも、マイナスにも積み重なっていきながら、ぼくの対応も変化しているのです。
 
「面白がってくれてるな」「信用されているな」「いい質問だな」とかね、相手が自分との関係をポジティブに築こうとしている対応だと、付き合いの長さがプラスに働きます。
同じように、「要望しか言わないな」「こちらの助言を聞かないな」「質問ではなくて、意見だな」といった反応が積み重なると、付き合いが長くなるほど、対応はそっけないものになっていきます。
 
そんでね、これって、専門家と関わるときの、肝心なことだと思っています。
専門家と話しているのに、助言を聞き入れないことが多かったら、専門家と関わる意味がないですもんね。
配慮のない要望が多かったりしてもね。
 
そうすると、お金と契約だけの関係になって、自分の利益を確保しようとつとめるのは、当たり前なんですよね。
職業倫理って、契約をすれば果たしてくれるってことではない。
専門家を信じて任せるってことを、依頼人である自分から示さないと、専門家は気持ちよく働けないってもんだぜ。

手書きを使う。

2018.6.28

いやね、他のヒトにとってみたら、本当にどうでもいいことを話します。
いま、ぼくは万年筆を買おうか、迷っています。
正確に言うと、万年筆を買ってもらおうか、迷っています。
もうすぐ誕生日なので。
 
買ってもらうなら、使わなきゃマズイだろうと、万年筆を使う場面を考えています。
すると、手書きの場面について考えてしまうのです。

パソコンを毎日使うようになっても、頻繁に手書きを選びます。
理由は、チマチマしないで、考え事ができるからです。
パソコンの場合、文字の間違いや、文字変換の機能に気を取られたりします。
(きのうが昨日と変換されたり)
 
ブログの文章や、メールの文章なんかは、パソコンの方が都合がいいもんですけどね。
「チマチマしないで書く」って心構えがありますから。
 
じゃあ、手書きで書くときって、どんなときか。
「どうなるかわからないことを書く」ときに、手書きにします。
 
ラフスケッチや、考えを広げるための思考地図。
図が必要なとき。
あっちこっちに書きたいとき。
 
収束させることよりも、拡散や発展させたいときに、手書きを使います。
発展させながらまとめたいときに、手書きを使います。
「手書きを使う」だって。
すると、手書きは道具なんだな。
考えを発展させるための、道具なんですね。
 
「手書きをする」っていうのも、不思議な言い回しです。
「手書きを選ぶ」
「手書きの手紙。」
「手書くる手紙。」
「本日は手書き。」
「標準化ならキーボー。差別化なら手ガキ。」
 
最後のは商業資本主義とかけているんですよ。
キーボーとガキとかもね。
 
「標準化ならキーボード。差別化なら手書き。」
 
素直に書いた方が、いまっぽいですね。
一色刷りのイラストですね。
いたずらが過ぎたところで、今日の話はおしまいです。
(万年筆の話じゃなくなりました)

悩みは細分化しちゃう。

2018.6.27

ヒトから悩みを聞いていると、なにが悩みや不安をつくりだしているのか、気がつきます。
たいていは、大き過ぎるモノを、その人の中に作り出していることなんです。
 
「全員を救えない」とか、「理想とするヒトのようになれない」とかね。
大き過ぎるモノを直視してしまうと、小さな一歩さえ霞んで、見えなくなってしまうようです。
すると、不安感だとか、無力感だとか、切迫感だとか、強迫観念だとかに、自分は負けてしまうわけです。
 
自分は小さいっすから。
だから、大き過ぎる目標は、具体的な事柄になるまで細分化すれば、ひとつぐらいはやれそうなモノが出てくるものです。
このひとつを解決すれば、その分のチカラがついて、違うひとつをやれるようになったりします。
 
ロールプレイングゲームと同じっすね。
今のゲームはしらないけれど、ファミコン世代のロールプレイングゲームは、レベルが足りないところに入ると、敵にボコボコにされてました。
運良く逃れるか、全滅するかして、「この場所はまだ来ちゃだめだ」と分かるわけです。
 
そして、クリアーできるダンジョン(敵のいるところ)からこなして、レベルを上げていって、ボコボコにされた地に再び訪れると、クリアーできます。
勇者の剣を手に入れるもよし、普通の剣でクリアーするのもよし、お姫様を助けるのもよし、世界平和をするのもよし。
ひとつずつクリアーしていけば、レベルアップしているものですよね。

電車に乗って。

2018.6.26

電車に乗っていると、「電車ってすごいなぁ」と改めて思うときがあります。
海外の電車にそれほど乗ったことがない私なので、世界の電車事情には疎いでしょう。
それでも、日本の電車の時刻を守る正確さの評判は耳にします。
それで改めて思うんです。
時刻の正確さ。
事故のときの復旧の速度と振替輸送の対応力。
揺れの少なさ。
ホームの綺麗さ。
だって、深夜に酔っ払いが吐いても、翌日までには対応されてますよね。
そもそも、停電の少なさにも驚きます。
これらの「動くのが当たり前」の状況って、ものすごい努力が働いていると思うんです。
そう考えると、「当たり前」って、色んなヒトの「当たり前じゃない働き」の賜物なんだな、と改めて思うのです。
そんなことを考えながら、電車に乗って、家に帰ってきました。
(ちなみにぼくは吐いていませんよ)

ヒトの特徴。

2018.6.25

変わろうとしているときほど、痛みを感じるものです。
成長痛のように。
社会が変わろうとしているのは、もうずぅっと長いことつづいています。
これと同時に、社会の痛みもずぅっと、みんな感じているのではないだろうか。
 
いやね、以前、広告がつまらなくなったという年長者のことと、説明が奪うものについて書いたけれど、これと同時に、むやみやたらと威張る年功序列もなくなってきているし、そうかと言えば、彼らと接点を持たない若者はスキルが低いまま役職だけ高くなっちゃうことも起きているな、と思った次第なんです。
 
一年ほど前、当時流行りのCDO(チーフデザインオフィサー:事業会社にいるデザイン部門の経営層)とお会いしたことがありました。
ぼくと同じぐらいの年齢でしょうか。
苦労されているのは分かるけれど、力のあるデザイン事務所のデザイナーよりも、力がないのは明白だったのです。
 
つまり、苦労の結果が違うモノになっている。
その上で、肩書きは立派になっている。
そんな現場が数多くあるでしょう。
特に学生起業家たちの会社や、それと似たような若い人たちの会社がチヤホヤされているけれど、彼らが理想とする働きぶりを聞くと、ヒトよりも機械の方が優秀のようにも思えるのです。
 
もちろん、すでに機械の方が優れている部分はありますし、クリエイティブといわれる仕事も、いつかは機械の方が優れるときがくるでしょう。
けれども、ヒトの特徴というのは、ぐにゅぐにゅ、ぐちゃぐちゃしている何とも言えない部分を持ちながら、仕事ができるところでもあります。
そして、こういった特徴が、ヒトとヒトの仕事を成り立たせてきて、国をつくってきたし、国と国の関係も成り立たせてきたはずです。
少なくとも、ぼくはそういう現場を見てきました。
そして、肩書きだけ立派になるヒトビトを見ていると、じいちゃんやおっちゃんよりも、色々なところが劣っているのです。
 
なんかね、リタイアしたじいちゃんや、定年間近のおっちゃん達が、蓄積した色んなモノを、のらりくらりと受け継いでいくのも、若者に必要なことだと思います。
おっちゃんが弱々しくても困りますが、威張り散らされても困りもんですけどね。
「ちょうどいい」を学ぶ機会を、おっちゃんの側にも、若者の側にも、どうやったら吸収させることができるのだろうか。