手書きを使う。

2018.6.28日々のこと

いやね、他のヒトにとってみたら、本当にどうでもいいことを話します。
いま、ぼくは万年筆を買おうか、迷っています。
正確に言うと、万年筆を買ってもらおうか、迷っています。
もうすぐ誕生日なので。
 
買ってもらうなら、使わなきゃマズイだろうと、万年筆を使う場面を考えています。
すると、手書きの場面について考えてしまうのです。

パソコンを毎日使うようになっても、頻繁に手書きを選びます。
理由は、チマチマしないで、考え事ができるからです。
パソコンの場合、文字の間違いや、文字変換の機能に気を取られたりします。
(きのうが昨日と変換されたり)
 
ブログの文章や、メールの文章なんかは、パソコンの方が都合がいいもんですけどね。
「チマチマしないで書く」って心構えがありますから。
 
じゃあ、手書きで書くときって、どんなときか。
「どうなるかわからないことを書く」ときに、手書きにします。
 
ラフスケッチや、考えを広げるための思考地図。
図が必要なとき。
あっちこっちに書きたいとき。
 
収束させることよりも、拡散や発展させたいときに、手書きを使います。
発展させながらまとめたいときに、手書きを使います。
「手書きを使う」だって。
すると、手書きは道具なんだな。
考えを発展させるための、道具なんですね。
 
「手書きをする」っていうのも、不思議な言い回しです。
「手書きを選ぶ」
「手書きの手紙。」
「手書くる手紙。」
「本日は手書き。」
「標準化ならキーボー。差別化なら手ガキ。」
 
最後のは商業資本主義とかけているんですよ。
キーボーとガキとかもね。
 
「標準化ならキーボード。差別化なら手書き。」
 
素直に書いた方が、いまっぽいですね。
一色刷りのイラストですね。
いたずらが過ぎたところで、今日の話はおしまいです。
(万年筆の話じゃなくなりました)

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