Archive for 2018

言わない言葉。

2018.8.8

言葉というのは、本当に難しいと思っています。
伝える側と伝えられる側がいるだけのことなんですが、この間を飛び交う言葉の扱いは、とても難しいです。
 
技術的と言われるような職業において、できない弟子に対して師匠が「バカヤロー!」と怒鳴ることもあるでしょう。
「なんでできない!」と怒鳴ることもあるでしょう。
年上のヒトたちの話を聞くと、これが当たり前。
今でもこれが残っている現場はあるでしょう。
ぼく自身も言いたくなるときはあります。
 
でも、言ってもしょうがないんだよなー、と思っています。
 
「できないことには理由がある。」
「できないことを細かく分解する。」
「細かく分解したものにできるものがなければ、さらに細かく分解する。」
「できるものが出てくるまで分解する。」
「そうして、できるものからひとつずつ習熟していく。」
 
おそらく、現代のビジネスで言われていることって、こんなところでしょう。
 
でもね、この分解ができていたら、はじめっからできるっつーの。
それに「見えなくなる」ときってあるんですよ。
できなさに取り囲まれて、本来の力を失い、見えなくなる。
見えなくなったヒトたちに、ビジネスの理想論を語ったところで、追い詰めてしまうだけです。
 
だからね、「言わない言葉」というのが、本当に必要だなと思っています。
「見守る」っていうことです。
失敗していいタイミングで失敗させる、とか。
若いうちなんですよ、失敗しても許されるのって。
だって、失敗をカバーしてくれる年長者がいるでしょう。
致命的な失敗なら、失敗する前に、彼らが動きますし。
 
理想論でなんでも議論で解決できると思っていると、ヒトって疲れてしまうんですよ。
失敗を失敗と経験させることも、若いうちに経験しといた方がいいことです。
 
ま、何でもかんでも口を出すのは、子離れできない親と一緒なんでしょうかねー。
(子どもいないのでわからない)

休日に「目黒シネマ」。

2018.8.7

休日にすることの候補としてかなりの頻度で挙がる「目黒シネマ」さん。
自称「映画好き」「映画オタク」「映画マニア」「映画フェチ」「映画変態」、、、こういったヒトたちのツボをおさえるのが上手いんだ。
 
今回は着ぐるみが見られなかったけれど、手作りのパンフレットは健在。
こういうことに洗練さを加えては台無しになる。
 
映画館という暗闇の部屋には、たった2時間の濃密なドラマがあるんだ。
現実にはないドラマを求めるヒトたちが集う場所だ。
若者も中年もひとり客が多いのが、名画座らしいのかもしれない。
もちろんカップルで来るのもオーケーだぜ。
持ち込みもオーケーだぜ。
つまり、名画座でもあるけれど、ぼくらがまだ中学生だった頃の大きな映画館と同じってこと。
 
さすがに、劇場内は禁煙になっているけれど、やかましいマナー広告はない。
だって、劇場の外に一歩でも出れば、マナーの喧騒に溢れているだろう。
そんなに騒ぎ立てなくたって、映画好きが集まれば、映画のためのマナーは守られるんだぜ。
 
スナックにペプシ。
暗闇のなかのドラマ。
2時間だけの夢の世界。
椅子が揺れなくても、3Dメガネがなくっても、映画はほんっとうにいいもんですね〜。
 

ブランディング詐欺に気をつけて。

2018.8.6

ブランド価値を向上すれば事業のすべてがうまくいくような話を耳にすると、同じ業界にいる者として憤りを感じます。
そんな簡単な話は、いわゆる詐欺と同じです。
事業がつくりだす製品やサービスの品質が悪いのに、ブランド価値を高めて消費行動につなげるのは、詐欺の仕組みと変わりません。
 
ブランディングが効果的に機能するのは、製品やサービスの品質は高いのに、品質の良さが伝わらずに、安く粗悪なモノのように見えたり、購入する価値がないと思われる場合です。
購入する価値は、選ぶ価値と広く言った方が適切でしょう。
 
老舗割烹料理のお店であれば、他の老舗と何が違うのか。
価格が高い理由に生活者が納得しなければ、選ぶ価値を提供できたとは言えません。
ましてや、生活者の欲求に迎合しただけの身売りなんて事業の投資ではなく、予算をドブに捨てるようなものです。
 
老舗が続けてきて、これからも残す価値のあるもの(アイデンティティ)は何なのか。
まずはこのアイデンティティを見つけ、その後に、いまを生きる生活者が「価値」と感じることと適切につなげていくのです。
これを少なくとも2~3年は続けていくことで、はじめてブランド価値は上がっていくのに、提供するモノが大量生産、大量消費の代物だったり、たった数ヶ月から1年程度でブランド価値を高めようというのは甚だ間違っているのです。
 
また、これと同じことで、事業の数々の問題が、ブランディングひとつで解決できるとうそぶく同業者がいるというのも、いまの日本の問題なのです。
品質と伝え方と売り方、これらすべてが事業には大事で、これらの源はヒトなのです。
ヒトに投資できなければ、何もはじまらないのです。
ブランド価値というのは、何年もつづけて、ようやく滲み出てくる湧き水のようなものなのです。
どれだけ同業から睨まれようとも、どれだけ依頼人から口うるさい奴と思われようとも、私たちは真実を伝えるべきです。

初七日から明けて。

2018.8.5

初七日も過ぎました。
父には申し訳ないけれど、その日はあまりお祈りをしていません。
「あまり」じゃないな、していないです。
 
翌日の土曜日、毎月恒例の根津神社へのお参りで、お祈りをしました。
「特別なことをしないでごめんね」と言いつつ、午前中の神社はいつもよりも空いていて、ゆっくりとお参りができました。
 
亡くなったヒトと話す、というのはあります。
高校入学のときに、中学時代の友人が亡くなってからは、彼ともよく話します。
霊感とか、あの世との交信とかじゃなくてね、野暮な言い方をすると、想像を巡らすのです。
 
でも、この想像の中の亡くなったヒトたちは、ちゃんと話せるんですよね。
漫画家がよく話している、「キャラが勝手に動く」というような。
ぼくは漫画家じゃないので、これと近いのかはわかりませんが、思い出とも違い、雄弁に話す姿は、面白いものです。
 
こういうこと話すと「変な奴」と思われることも、知っていますよ。

育ち、育てる。

2018.8.4

最近、よく思っていることのひとつに「ヒトを育てるのって難しい」ということがあります。
いやね、とても当たり前なことなんですがね、親が子どもを育てるのはもちろんのこと、組織なんかもすこぶる大変だよなと。
 
丁稚、弟子、アシスタント、部下、後輩、、、呼び方だけでもさまざまです。
これらは「育てるヒト」との関係性も、ちょっとずつ違うわけです。
しかも、関係性で許される範囲も、時代によってちょっとずつ変わってきています。
 
こんななか、丁稚で育ったヒトが、部下を育てるなんてことも現代では生まれているでしょう。
ぼくも若輩者ながら何人かを直接育ててきたし、後輩は増えるばかりです。
 
その度に、「ヒトを育てるのって難しい」と考えてきたのですが、いまね、外の会社のヒトたちを育てるてことを、いろいろな場所でやっているのです。
 
元々、依頼人にはクリエイティブのノウハウを伝えながら仕事を進めるスタイルでしたが、これは依頼人の判断能力を高めてもらうためにやっていることです。
デザイナーとして一人前に育てたり、デザイン部として機能させるなんてことと、判断力だけを育てることとは、ヒトの中の育てる部分が異なります。
 
しかも、預かっている身としては、どこまで厳しくしていいものか。
丁稚とも、弟子とも、アシスタントとも、部下とも、後輩とも違う。
依頼人とも違う。
 
なんとも不思議な関係を経験させてもらっているなぁ、と呑気に思いつつ、いつもこの難しさを感じています。
(考えてみると、家庭教師に近いのかもしれないと思ったけれど、講義をしているのとも違うんだよなぁ)