Archive for 2014.2

ポピュラリティ

2014.2.8

おそらく、今日はたくさんの人が「雪」について話しをするだろう。嬉しさや面倒臭さが混ざった、一言で言い切るのは難しい感情を交えて、「雪」を語る。
 
多くの人が話題にする力を、雪は持っている。こう思うと、雪のポピュラリティの強さを痛感し、そういったことが今の藝術に可能なのだろうかと、訝しく思う。
 
興行成績や観客動員数が億を超えたとしても、雪に動かされる人の多さには敵わないような気がするのだ。そうして、人工物と自然物の違いを感じる。ミメーシス(自然を模倣すること)は、技術を高めることに従事するしかないという悔しさと、オリジナル(自然)の力を超えることも出来るのではという希望的観測を抱く。
 
それは、雪に抱く入り交じった感情と似ている。

苦しまないために

2014.2.8

光の作用を作品にしたり、実験をするというのも1つの方法。対象を模倣することもそうだし、心象を描くこともそうだ。依頼者を満足させるのも作品をつくる方法だし、普遍的な性質を表そうとするのも1つの方法といえる。
 
細かく分ければ、自分はオリジナルの方法を持っていると言えそうだが、そのどれもが、その他の要素を含んでいるし、制作プロセスの中においても他のプロセスが混ざらないというのは難しい。
 
しかし、そのことを逆手にとれば、全てのものは繋がっていると言えるし、腹の括り方1つで、難しさから解放される。
 
そう、人は思い込みで苦しんでいるのだ。

全てが声を持っている

2014.2.7

先日、川の前で寝っ転がっていたのだが、川の様子がいつもと違うことに気が付いた。泡が多いーー始めに気が付いたのは、川の上に浮かぶ泡の大さと強さだ。その後、川と陸地の境目にある石が漂白されている。

はて、何が起きているのだろうと疑問に思ったが、その時は眠ることにした。その後、石が白い理由をネットで調べてみたのですが、なかなかみつからないものですねー。

それは置いといて、自然の中はそれぞれが微かな声を出している。その声たちに気が付くと、とたんに自然の雄弁さに驚くのだ。話さないのであれば感じ取ることは難しいが、話す力を持っていない動植物はいないのではないだろうか。

適度な外し

2014.2.6

リミットの外し方というのが、いくつかあるでしょう。人によっても違うでしょうし、度合いも異なると思うんですよね。

僕の場合は、「とことんやってみる」、「キレる」、「お酒」、「眠る」などいくつかありますが、どれも限度値やリミットの外れ方が異なります。しかし、どれもが「やりすぎると悪い方向に向かう」ということでは同じです。

こうやってリミットの外し方を考えてみると、「リミットを外す」というのが腹を括るとか、スッキリするだとかという類のことだとわかります。まぁ、腹を括ること自体、スッキリすることですよね。「後はどうとでもなれ」と思いながらも、「良い方向に向かうんだから」というような気持ちの進み方をしますので。

慎重すぎるのも、我慢しつづけることも、無鉄砲すぎるのも、美徳ではないような気がするんですよね。

あっちも、こっちも

2014.2.5

「写真家だけに見える光」があるような気がしています。プロにしかわからないような微細な光の変化というか。以前、それは今もですが、ちょっとしたアプリで写真を加工して、レトロ感を出すようなことに、つまらない印象を持っていましたが、まさにそれだと思うんです。

写真家達が、あの程度に満足して発表してしまうようでは、僕らは職業としていらないですよね。全部がファーストフードで良い理由は、どこにもないでしょうし。

そんなことを、カフェでラテを飲みながら思いました。場所や技術、人に払うお金ってやつです