Archive for 2013.12

米を研ぐ感触

2013.12.8

米の撮影をした後、その米を研いでいたのですが、「米を研ぐ」ことがとても久し振りのような気がしました。実際、1ヶ月は研いでいないと思われます。
 
昔、たくさん料理をしました。毎日、料理をしていました。手のこんだものから、簡単で美味しいものまで、幅広く料理をしていました。
 
それが、今ではほとんどやっていません。
 
忙しさも手伝い、食べるという欲求が、極めて低くなっていることにも原因があるでしょう。昔、山の中で野宿をしていた頃、飢えのあまり、つぶれた魚を焼いて食べたりもしました。
 
生きることだけを目指したら、そういうものでも充分なのです。
 
だが、「文明社会に生きる」ということは、違うのです。その他大勢と価値を共有できたものを食べる必要があり、即ち、外で食べるものになります。
 
でね、米を研ぎながら手にあたる米粒たちの感触が気持ちいいことを知ったのです。作ることが慣習化していた頃には感じなかった、新たな感覚です。その感覚で、ごはんを作るとしたら、白米とみそ汁だけで充分美味しいだろうな、と楽しくなりました。

デフォルメの効果

2013.12.7

「アイロンビーズ」という、ビーズを並べてアイロンの熱でくっつける玩具で遊びました。
 
ビーズが転がらずに置ける型があるんですが、その型を使って、色々な形が作れます。型の形が丸や星の形をしていても、無視して自分が望む形を作ります。
 
そんな風にして、作っていくと、ファミコンのドット絵を思い出しました。今では、ゲームもCGも現実と見間違うほどのリアリティが重視されていますが、デフォルメという制限によって、僕らの想像力は逞しく育っていったような気もするんですよね。
 
広告を見ていても、人間臭さや弱さを醸し出すようなリアリティが増え過ぎていますが、僕らが想像力を働かせたくなるような、デフォルメのものがあっても良いと思うんですよね。

感情

2013.12.7

山の中と海の中、どっちが好きだろうか。人間であれば、地に足がつくm山の方がいいだろうが、そんなことを放っておいたら、どちらも好きだ。
 
そう、諸条件なんて「好き」という感情においては、どうだっていいことだ。

楽しさの分かれ道

2013.12.6

「そんなん無理でしょ」っていうことがあっても、すぐにわくわくする訳じゃない。否応無しに、ちょっとずつ取り組んでいるうちに、楽しくなってくるものだ。動いているうちに、ヒントがみつかったり、突破の可能性を掴んだりしているうちに「あ、出来るかも」という実感が手に入る瞬間がある。
 
そこが、楽しくなるターニングポイントだ。
 
そこまでいかずに、止めてしまうと、「ほら、無理だったでしょ」になるけれど、それじゃあ、その道は閉ざされてしまう。
 
でも、楽しさの分かれ道に来たのなら、進むべきだ。止まる道は道ではなくて、一点の場所だ。進んでいる内に道が出来るし、穴を掘っていけば深い所に行けるし、空を見続けていれば発見がある。
 
そうやって、楽しくなる道に進むことで、楽しいって感情は手に入ると思うんだな。

紙の香

2013.12.5

パピエルダルメニー。全く聞き慣れない、噛みそうな名前を持つ「紙のお香」。先日、友人からもらったそのお香を、居間に置いて外出していたのだが、戻ってみると、ほのかに気持ちの良い香りが漂ってくる。
 
嗅ぎ取れるかどうかというほどの微かな香りなのだが、感じ取ったときの、ふわっと心が軽くなる感じ、とても心地良い。
 
調べてみると、使用されているベンゾインという成分は静菌効果があり、古代エジプト文明では香料として使われ、主にアジアを中心に何千年も使われてきたらしい。
 
もしも、疲れを菌とするのならば、心から菌を静めてくれる香りを持つ紙ということになる。
 
これは、とてもいい。