米を研ぐ感触

2013.12.8日々のこと

米の撮影をした後、その米を研いでいたのですが、「米を研ぐ」ことがとても久し振りのような気がしました。実際、1ヶ月は研いでいないと思われます。
 
昔、たくさん料理をしました。毎日、料理をしていました。手のこんだものから、簡単で美味しいものまで、幅広く料理をしていました。
 
それが、今ではほとんどやっていません。
 
忙しさも手伝い、食べるという欲求が、極めて低くなっていることにも原因があるでしょう。昔、山の中で野宿をしていた頃、飢えのあまり、つぶれた魚を焼いて食べたりもしました。
 
生きることだけを目指したら、そういうものでも充分なのです。
 
だが、「文明社会に生きる」ということは、違うのです。その他大勢と価値を共有できたものを食べる必要があり、即ち、外で食べるものになります。
 
でね、米を研ぎながら手にあたる米粒たちの感触が気持ちいいことを知ったのです。作ることが慣習化していた頃には感じなかった、新たな感覚です。その感覚で、ごはんを作るとしたら、白米とみそ汁だけで充分美味しいだろうな、と楽しくなりました。

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