Archive for 2013.10

つづき2

2013.10.11

そんなことを話しながら、「システムを変えるため」に社会にいることを選んでいるのだから、苦痛が多いのかというと、そうではありません。
 
作ること、人と話をすることは、本来楽しいものです。
 
負債をかかえるかもしれない、恥をかくかもしれないなどの恐れや不安が、本来楽しいものであるはずのことを、つまらなくさせているのです。
 
それに気付ければ、いつでも笑っていられるし、笑って死ねる自信が手に入るんです。要は、気持ちの問題です。

つづき

2013.10.9

御嶽駅に降りた時、何かのスポーツ大会なのか、拡声器かマイクを使って実況していました。着いた当初は、その自然に似つかわしくない仰々しい音に、苛立ちを覚えましたが、自然の中に入り、戻ってくる時には苛立ちはなくなり、一抹の悲しみと、人間であることの諦めに変わっていました。
 
人間はなぜ、こうも、たくさんの美しい感覚を、自ら手放してしまうのだろうか。
 
僕はね、いつかPCさえも手放して、体ひとつで生きたいです。本当は、携帯電話も、PCも、社会自体もない生き方ができるはずです。
 

還る場所

2013.10.9

「飛行機が落ちたら、日本の自然の中に入れないな」と思い、先日、渓谷にいってきました。川や山、雲から覗く太陽は、僕が自然物であることを思い出させてくれます。

「今が死ぬときだ」

河原で寝転んで、薄目で空を眺めていると、安らかな気持ちで、そう思います。川の音、樹々の音、鳥の声、たくさんの微かな音達が遠のき、半眠半覚の状態で時間が過ぎていきます。

空が曇り、天候があやしくなれば、自ずと目が覚めます。そうです、僕はこの空気と一緒になり、危険を教えてくれます。そうしていると、「ここ」が終末の場所だと再認します。還る場所だと。

社会の営み

2013.10.8

しばらくの間、展示をせずに過ごしていました。コレクターやクライアントと直接取引きをすることで、ギャラリーで展示をするときの、50%は安く見積もることができ、ギャラリーで買われる場合も、僕ら作家がいるときに限ってのことだったので、僕は作品の流通に直接取引きを採用してきました。
 
とても良い場所が見つかれば、このやり方も変化するでしょう。正直に言えば、良いエージェント、ギャラリーとやりとりが出来れば助かりますが、それを探すことよりも、作品をつくることの方が重要です。
 
そうして、久し振りの展示(1枚だけですが)が海外なので、しばらくの間は、日本で新作を観ることはないんですよね~。だって、時間・労力・金銭・感情のコストとメリットで、全ての面でコストが上回るんですもの。そして、この腐ったシステムを変えようとしてんだな。自分のためだけだったり、他人のメリットだけだったら展示はやらないよ、展示は社会の営みですから。

世の中

2013.10.6

世の中には、知らないことがたくさんあるなぁ、としみじみ思います。飛行機での手荷物のサイズだとか、あぶない地域だとか……大抵、その規則や情報の根源を探ると、「恐れや不安」がそうさせていることに気が付きます。
 
昨日は小雨が降っていました。傘をささずに歩いていると、体が濡れてきます。こういった「誰にでも当てはまること」の方を、僕は信用しています。
 
むか〜し、むかし、この「誰にでも当てはまること」を「真理」と呼ぶようになったんだよね。規則と真理……果たして、一般性が高いのはどちらだろうか。他人と違うことを恐れるのならば、どちらを優先した方が得策なのは、ちょっと考えればわかること。
 
それでも、社会が規則の方を採択しているのは、人を信用できないまま、金を欲しているからでしょう。