御嶽駅に降りた時、何かのスポーツ大会なのか、拡声器かマイクを使って実況していました。着いた当初は、その自然に似つかわしくない仰々しい音に、苛立ちを覚えましたが、自然の中に入り、戻ってくる時には苛立ちはなくなり、一抹の悲しみと、人間であることの諦めに変わっていました。 人間はなぜ、こうも、たくさんの美しい感覚を、自ら手放してしまうのだろうか。 僕はね、いつかPCさえも手放して、体ひとつで生きたいです。本当は、携帯電話も、PCも、社会自体もない生き方ができるはずです。
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