Archive for 2013.9

共有ゆえの感動

2013.9.19

写真家として、写真について考えることは多々あります。単語のつくり、光学のこと、レンズを通した視覚のこと、シャッターを切るということ、被写体のこと、広告と藝術のこと、歴史のこと……。 
 
僕らが見ている物や色というのが、物体が持つ反射できる色の範囲で決まっているわけですが、その後に個人の眼の作りにも影響を受けています。つまり、少なくとも2つのフィルターを通している。そして、2つ目の個人の眼というフィルターによって、物事は個人に寄らなければならなくなる。そう、これが主観だ。 
 
物体の反射光は画一的に調べればいいので、客観の評価を出せるが、眼の作りを画一的に調べて数値を出したとしても、その数値で見える眼鏡でもかけない限りは、他人と同じ見え方は出来ない。それが顕著に表れるのが、色盲であり、僕が患っている飛蚊症もその1つである。
 
この主観との違和感が表れるのが、写真である。紙焼きだろうが、フィルムだろうが、モニターだろうが、今、目の前で見ていたものとの誤差を露にされ、自分の見方が他人にとって絶対ではない、ということを気付かせてくれる。
 
はずだった。
 
今までの評論などを漁れば、この程度のことまでは話されているだろうが、紙に定着されている像を見ることも、モニターに写し出されている像を見ることも、最終的には見ている人の眼を通しているのだから、主観なのだ。
 
緑の服が緑の反射光を持つように、モニターにはモニターが写せる色や形があり、それを僕達の眼が最終的に見ているに過ぎない。
 
つまり、どこまでいっても主観なのだ。だからこそ、全く違う見え方がしているかもしれない他人と、似たような感受性を抱いたときに感動が起きるんだよね。
 
最近、他人と感動するってことを、もう少し信じられるのかもしれないと、思うようになってきました。なかなか難しいけどね。

体と丁寧さの関係

2013.9.17

先週の土曜日に寝違えてから、首の痛みがとれず、昨日、ももを痛めてから足が重い。痛み方が筋のあたりなので、原因は運動不足にあることは重々承知なのですが、今はね、フルタイム24時間で制作しているようなものです。
 
しかし、体の痛みは、かならず心に不調をきたします。
 
たとえば、どんなに気をつけても言葉はキツくなっているでしょうし、キツくならないように気をつければ気をつけるほど、軽薄な言葉になっているようにも思います。
 
つまり、丁寧さがなくなっているはずです。
 
制作では、その分、粘れば何とかカバーできますが、言葉はね、他者に向けられるからね……早いとこ、健康な体を取り戻さなければ、誰かを傷つけることになるような予感がしています。もしくは、既に傷つけているか。
 
少しでも改善できるように、ちょっとずつ、ゆっくりと運動をしよう。10分、いや、5分だけでも。そして瞑想をしよう。人間であることを忘れちゃいけない。人間関係があることを忘れちゃいけない。

左脳的

2013.9.16

アメリカでの配布物を作っているんだが、これがzineを作る感覚なのか――巷でもてはやされている「自由な感覚」なんてなく、ビジネスロジックの感覚しかないわ。アートはビジネスだ。自分の好きなことをやれるビジネスであり、センスがなければやめちゃいな。一人が無理ならやめちゃいな。子どもを守れなきゃやめちゃいな。未来をつくれなきゃやめちゃいな。それらが通用する希有な世界だ。

 

金とコネが溢れているのは、他と変わりないが、美しいという感覚を信じられる馬鹿みたいな世界でもある。

 

いいものが作れるんなら、この命、安いもんだと思って、ずっと生きてきたなぁ。もっと成長できる。

送別会

2013.9.15

大学の先輩の送別会に行ってから、先輩の引越し作業を手伝ってきました。その先輩は、僕が大学1年の頃には、既に卒業して台湾にいて、初対面が台湾でした。
 
男二人で写真片手に訪れたのですが、いやはや、僕ら二人とも初対面にも関わらず寛容に泊めてくれたものですよね。その後、ほぼ会わずに今日まで過ごしていたのですが、漸く恩返しができたかな、ちょこっとだけ。
 
あの台湾旅行は、野宿時の野犬や、牛肉麺やタピオカジュースとの出会いなど、その後の僕に関わるエポックが何点かありました。そういう意味では、やっぱりね、たくさんの恩があるんです。
 
そんなわけで、北海道にいっても元気でいて下さい!

恋のはなし

2013.9.14

「恋って何だ?」と、たま〜に考えます。抽象度の高い単語なので、定義は人によって違うでしょうが、街を歩いていて目移りするのは違うらしいし、情事における行為だけでも違うらしい。
 
「情事」という単語は好きなのだが、ふと今調べてみたら「男女間の情愛に関する事柄。いろごと。」とある。そこで「いろごと」を調べてみると「男女間の恋愛に関する行為。情事。」と書いてあった。
 
どちらも「恋愛」ってことは前提となっているので、素直に「恋」を調べてみたら、「一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。」と書いてある……と、いうことは、一緒に生活を送れたら違うってことになり、亡くなっている人へ惹かれることでもいいのなら、ダ・ヴィンチやデュシャン、俵屋宗達ら美術の先輩達に恋をしていることになる。人が対象となっているので、作品へは恋をするということは言えないのが、心苦しい。
 
そして、男女問わず、死んでいった友人達にも恋をしていることになるな。「生きている身近な人に、その気持ちを持て」と怒られそうだけど、今の世の中、簡単に会えちゃうし、連絡がとれちゃうのが邪魔をしているんだろうね〜。