Archive for 2013.4

雑稿

2013.4.12


 
時間・労力・金銭・感情の4点から、コストとメリットを考えるようにしている。
 

 
最大ターゲット数を考えるようになった。
 
個人なのか、世帯数なのか、共同生活帯なのか–—。
個人:藝術ならば∞になるが、
個人:広告ならば70億になる。
個人:広告:日本ならば1億3千万になる。
 
このように考えたら、どの業界もまだまだやれることがあるのではと思えるようになった。人と話していて気付いたのだが、ほとんどが逆の順序で考え、自らターゲット数を減らしているように思われる。
 

 
作品を見せていたら「visualist」だと誉めていただいた。しかし、そうであれば常に偏見と闘わなければならず、大変だなぁ、なんて呑気に思ってしまった。慣れちゃったけど。
 

 
ネットニュースを見ていたら、新入社員の日本語の稚拙さは先輩方に悪い印象、というような記事が書かれていた。日本語ほど、語尾や一人称の使い方で、大きく印象を変えてしまう言語も見受けられない。けれども、こういった尊敬・謙譲・丁寧語で印象判断をしてしまう人ほど、格好悪い大人の代名詞のような言動が多い。そのような方々に「古典で話していないですね」と嫌味を一言いえる若者が増えても良いのではないだろうか。いや、サラリーマン国家だから諦めているのか。それは、恐怖なのか?

自立性を育てるもの

2013.4.11

これからの仕事には「雰囲気」と「過不足ない説明」を合わせることが必要だと気付いた。
 
こと制作物において話すと、雰囲気だけを提供してしまえば説明が不足し、受け手の成長は、受け手自身の裁量に委ねられる。子どもには無理な話で、文化的に日本人が幼稚でオリジナルを生み出せない要因もここにあると思われる。
 
一方、過剰な説明は物事のテンポを悪くし、品格、礼節、配慮、つまり雰囲気を欠いた言動になる。説明が不足している場合では、高圧的、威圧的、頑固者になりやすい。
 
「子ども心やユーモアがあること」と「幼稚なこと」は異なり、自立性が高いのは前者だろう。これを育むものを提供するためには、「雰囲気」と「過不足ない説明」を合わせることが必要だと気付いた。

グレートジャーニー展をみてきた

2013.4.10

そういえば先週、「グレートジャーニー − 人類の旅 –」@国立科学博物館に行った。入場してすぐに「猿人家族による最古の足跡」みたいなのが床にプリントしてあり、プリントされていた足跡に沿って歩いてみた。ビジネス用の早足だと合わず、散歩用の速度や歩幅だとピッタリと足跡に合ったことで、思わずニヤリ。
 
たくさんの偶然が重なって、足跡と合わさったのは分かっている。それでも、散歩用の速度で合ってしまったことが、僕がいつも考えている「日本人の働き過ぎ感」がまた出てきた。
 
脱線するが、育児休暇からの現役復帰が難しいところが、まだまだ多いらしい。加えて、夕飯を自宅でとれるのも珍しく、そうでもしていると「怠け者」になるだろう。こういう状況って、仕事と生活を分けて考えているからで、どちらも日常だと考えたら分けて考えることは不可能だということに気付かないだろうか。そして、自分の日常を送るは自分であることを忘れなければ、自分の体を大切にすると思うんだが。
 
閑話休題。全編を通しての感想は、「結論を出すのが難しい」と思った。強制的な過干渉は悪いと思うけれど、無関心ということも変な話で……というのも、産業革命を果たした国々が、そうではないような文化に関わる時、元々の文化から僕ら寄りの文化に少なからず変化してしまう。
 
そして、人間は同じように、甘く楽なものが好きだ。
 
時間が掛かるけれど美しいものよりも、短時間でまぁまぁなものを作るようになるのは悲しいことだ。下手に僕らの文化製品を取り入れたら、その後も競争になるのだろうか。
 
上手い具合に、特殊性を残しながらってことは我が儘なのだろうか、と考えている。

白盤

2013.4.9

更新してました。
詳しくはこちら

1人と70億

2013.4.9

「何を作ろうか」と考えている。正確には「何を作る必要があるか」かもしれない。コンテンツの種類を増やすことや、自慢話の広告による人々の疲弊感は増加するだろう。そうではなくて、「70億」って人を考えても良いような気がしている、どんな業界を残すにしても。けれども、「1人」を「70億回」って考え方の方が適切だろうね。
 
「1人を感動させる」を「70億回」やってみる、みたいな。
 
「1人に花を贈る」を「70億回」やってみる、とか、
 
「1人の空腹をなくす」を「70億回」やってみる、とかね。
 
2つ目では花を育てる人と運送屋が必要で、最後のには農業、料理が出来て歩ける人がそれぞれ必要で、利益の一部を寄付できたら……どっかでやってそうだな。でも、そういうことのような気がしている。個人性を保ったまま、70億人に対応できることが重要になってくるんだろう…………それって藝術じゃん。