自分の体という道具
2013.3.11
1月、2月とキツめの運動をしたらヘルペスが出てきてしまったので、軽めの運動に切り替えていたのだが、ここんところ暖かく「大丈夫かな」と思ってキツめにやってみたら三ヶ月連続のヘルペス……こりゃあ、体の構造を変えないといかんな。
筋肉痛はほとんど出ていないのに、神経系や免疫系に関わるものが出ているのだから、そこら辺と(体と)相談する必要があるな。24、5歳の辺りに、筋肉の質が変わったような気がしてストレッチをするようになったのと同じように、徐々に変化するものが内部になっている。
子どもの頃に「なぜ人は死ぬの?」という疑問を持つ前に、「人は死ぬもの」「死んだら何も出来ない(干渉出来ない)」と気付き、理解してしまったが故に、自分の体というのも物質や道具として考えている節がある。その他の道具のように愛着がある。取り替えは利かない。二元論のように精神と分けることは出来ない。しかし、道具だ。
セルフポートレートと呼ばれるような写真があっても、身近にある人間の体をした被写体として使っている。映画やドラマで俳優の卵をバミリ用のモデルとして使用するように、人を撮る作品のラフには自分を使うことが多い。バミリ用だとしても本気で輝いて見えるときは作品に登場するように、ラフで始めたことが作品に登場することがある、その程度のことなのだ。
1月、2月とキツめの運動をしたらヘルペスが出てきてしまったので、軽めの運動に切り替えていたのだが、ここんところ暖かく「大丈夫かな」と思ってキツめにやってみたら三ヶ月連続のヘルペス……こりゃあ、体の構造を変えないといかんな。
筋肉痛はほとんど出ていないのに、神経系や免疫系に関わるものが出ているのだから、そこら辺と(体と)相談する必要があるな。24、5歳の辺りに、筋肉の質が変わったような気がしてストレッチをするようになったのと同じように、徐々に変化するものが内部になっている。
子どもの頃に「なぜ人は死ぬの?」という疑問を持つ前に、「人は死ぬもの」「死んだら何も出来ない(干渉出来ない)」と気付き、理解してしまったが故に、自分の体というのも物質や道具として考えている節がある。その他の道具のように愛着がある。取り替えは利かない。二元論のように精神と分けることは出来ない。しかし、道具だ。
セルフポートレートと呼ばれるような写真があっても、身近にある人間の体をした被写体として使っている。映画やドラマで俳優の卵をバミリ用のモデルとして使用するように、人を撮る作品のラフには自分を使うことが多い。バミリ用だとしても本気で輝いて見えるときは作品に登場するように、ラフで始めたことが作品に登場することがある、その程度のことなのだ。