Archive for 2013.3

名前の必然性

2013.3.21

ラフや模写の線が細い。たとえ、濃く、太く描いたとしても、出来たものに線の細い印象がある。こういう状態で、荒々しさを出す描き方をしても意味がなく、今制作されているようなものの場合はいいが、デザインの場合は男らしいものの方が得意だったので、ちょっと困っている。
 
制作が終ったときに感じていた「魂や体が消えていく感覚」が、普段からするようになっているのと関係しているかもしれないと、いま思った。現代の悪癖に上げてしまうが、何にでも名前を付けてしまう事は、僕はどうだろうかと疑問を持っている。
 
こういったあやふやな感覚をそのものとして扱おうとすれば、適切な名前を付けるというのは本当に難しい。しかも、名前を付けてしまえば、誰にでも当てはまるような気がするが、名前を付けた事で、普遍性が遠のくということもあるのだ。特に疾病と言われるようなものの場合は特にそうだと思う。
 
デザイナーだろうと、写真家だろうと、画家だろうと、物を作る人間が病院に行けば、必ず何かしらの疾病を言い渡されるのが現代の病ではないだろうか。配置にこだわる人や綺麗好きはたくさんいるでしょうし、0.025mmをこだわるのはその他大勢からしたら尋常じゃないでしょう。僕は「抜く」大切さを重視しているけれど、それでも彼らと同様に、他の大勢の人達からしたら、制作においてこだわりは強いと思う。そういう人を遠のけるのは簡単だよね。
 
けれど、技術を上げてきた人達って大体、そんな人達だと思うんだけどな~。つまりは言い方なんだよね、「疾病」と言えば聞こえは悪いけれど、「こだわり」と言えば聞こえは良くなる場合がある。

drunker drunker更新

2013.3.20

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そういえば、昨日は夜桜を友達と見に行ったのですが、満開になっていたのは一本だけでした。
 
だけど、満開のものがたくさんあって「よし! 花見だ!」と意気込む様子よりも、昨夜のような他の桜の木はあまり花が開いていない状態の方が、桜の美しさを満喫できるのかな、と思いました。
 
おそらく、そこには「想像」という要素が絡んでくると思うのですが、満開のものを見せられると、酒盛りに発展して、花の美しさを置き去りにしてしまうように、並んで歩ける友人達と「桜が咲き始めたね〜」と話して見ているときの方が、桜って美しいと感じているかもしれないと思ったのでした。
 
僕は梅が咲き始めると、そんな春の高揚があるのですが、桜の花開きの段階もそうかもね。

器(うつわ)

2013.3.19

チームで動いたり、指揮するような立ち場になったりすることがあるけれど、一番大事なのは士気を下げないことだと考えている。そして、士気を下げないためには「無茶振りをしない」、「大切にされていると感じてもらう」の2つが出来れば大丈夫だと思っている。
 
無茶振りと高い水準の課題は異なり、僕が様々な媒体を経験したのは自身の好奇心の強さもあるが、知らないと荒唐無稽な案件を振ってしまったり、案件の無謀さをわからずに引き受けた結果、自分の身を滅ばすことがあるからだ。
 
また、大切にすることと媚びを売ることは違う。下手なおだてはいらないが、笑い(ユーモア)は必要だし、ふとした時にお金を払っておくのも必要だ。それは懐の深さや器の大きさと言われていることだが、そういった曖昧なものよりも年齢差や年数が重宝されるようになっている日本は、やはりそんな大人が少ないような気がする。
 
中心にいる人物に「どーんと行け!」と言える人が少なくなっているんでしょうね。連絡さえ滞らせなければ、覇気のあるその一言で、周りは良い方向へ勝手に動いてくれるのに。

白湯

2013.3.18

白湯(さゆ)が美味しいと感じるようになっている。以前からふとした時に飲むと「美味しい」と感じることがあったが、飲む頻度が多くなっている。
 
子どもの頃はジュースが美味しいと感じていた。成人してくるにつれてビールや焼酎、コーヒーが美味しいと感じるようになり、その後はお茶、そして最近の白湯である。
 
嗜好の傾向として、徐々に味が薄くなっているのがわかるが、料理の味付けもどんどん薄くなり、塩味よりも旨味を欲するようになっている。仕事や職業におけるギラギラした欲望がなくなったのと並行していることは何か関係しているだろうね。そういえば、じいさん達も最後は水や白湯だったな~、たまにお茶でね。

細分化による翻弄

2013.3.17

今朝、フリーメールから添付ファイルを送ろうとしたら「ファイル容量が超えてます」と出てきて、「5MBっすよ……」と落胆して、急いでいたので別のメールから送ったのですが、いやはや機材やソフトに翻弄されるのはいけないな。
 
その問題のソフトは最近バージョンアップをして、名前も有料版の名前と同じになっちゃったので、トラブルシューティングを検索してもそっちばかりが出てくるんです。最近、ソフトの調子が悪いな〜と思っていたら、案の定そんな具合でさっきテストをしていたらちゃんと添付される……そして、先のことを思ったのです。
 
便利だったり、良いことは同じことのはずなのに、細分化されてしまうと理想としているところまで到達する馬力がなくなるのと同じかもしれないと感じた。貧困問題をケアしようとしているNGO関係の方々と、数年前に会っていたときにも感じたことですが、門外漢である僕からすると、団体が異なっているだけで理想としていることは皆同じに思ってしまい、3社なり4社なりがくっついちゃえばもっと力強い活動になるんじゃないだろうかと思っていた。
 
PCやIT関係、他の業界も同じことだと思うんだけどなー。競合他社って本当に敵なの? 性能差はあるけれど、理想としていることや中身はみんな似てるよね。