Archive for the ‘心の健康’ Category

判断基準を事前に持っておく。

2020.1.15

ヒロシさんの『働き方1.9』を読んだことについては以前書きました。
その本の中で、「最悪の状況を想像して天秤にかける」みたいなことが書かれていましたが、ぼく自身も選択肢があるときはこれを行います。
そのときにやっておかなければならないのが、自分にとっての最悪な状況を常日頃から考えておき、その答えを持っておくことです。
 
なぜこんなことをしなきゃならないかというと、選択肢を選んでいるとき、人は自分にとって都合がいいものを選びやすいからです。
そのため、選択肢を与える人がいる場合、大抵は「相手にとって聞こえがいい」ことを言うもんです。
そうして、選ぶ本人は自分にとって都合のいい選択肢を選んでいるつもりでも、実は相手にとって都合がいいものを選ばされていただけだった、ということになるからです。
 
こういうとき、人はよく「騙された」と言うもんですが、ぼくの考えでは、「どちらも悪い」です。
正確に言えば、TPOによって、悪い割合は変化しますが、ただし、大前提としてコミュニケーションにおいて一方的に悪くなる側がいるというのもおかしな話です。
これは何も性善説や性悪説という話ではなくて、相手の話していることを「聞き取り」「解釈」し、「判断」する能力があるかどうか、なのです。
そこで、「自分にはそんな能力がない」と言う人がいたら、それは弱さを売りにしすぎです。
「人は弱く、他の人と協力しあって生きていかなければならない生き物です」という類いの説教とは違う種類の弱さです。
というのも、他の人と協力しあうためには、自分も相手に何かを与えなきゃ「協力しあう」にはなりません。
与えるのがお金であれば「サービス」になりますし、他の人ができないことや苦手なことを肩代わりするのなら「協業」になるでしょう。
仕事であってもなくても、これが協力というものです。
でも、一方的に弱さを売りにして、頼ってばかりいるのは、相手を利用しているだけです。
 
つまり、「騙された」と言う人って、その分、誰かを利用し続けた人が、別の誰かに利用されたということでもあるのです。
 
ぼくも誰かに利用されたという経験はあります。
むしろ、山ほどあります。
仕事で言えば、ヒアリングや初回ミーティングまでして、そのままいなくなる、ということもありました。
事務所に勤務していたときは、当時の社長案件でロゴまで作らされて、そのままバックれられるということもありました(今でも覚えていますが、年末の忙しい時期です。しかも、当時の社長はぼくらに謝罪もしませんでした)。
これが友人であれば、相談だけして、言いたいことだけ言って、ケロっといなくなるなどです。
情報だけ引き出していく、というのはけっこう多いパターンです。
仕事であってもなくても、ぼくのコストがかかっているのです。
これをちゃんとわかっている人って、やっぱり今の日本には少ないです。
けれど、ちゃんとわかっている人って、ちゃんと仕事になるんですよね。
 
ぼくは20代の頃、写真家としてめちゃくちゃな数の展示をしていました。
そのほとんどに来てくれた友人がいるのですが、やっぱりね、そういう人ってちゃんとした仕事を与えてくれたり、ちゃんとした人を紹介してくれるんです。
だから、ぼくはその人の仕事って、誰の仕事よりも優先させます。
全人生をかけていると言ったら大げさだけど、家族ごと面倒をみるつもりです(頼りない自分だけど)。
 
そういう人がいるって、やっぱりね、自分もちゃんとしようと思います。
色んな人に利用されてきたけれど、騙されたというような経験がないのは、相手の話をちゃんと聞いて、解釈して、自分にとっての最悪な状況を元に判断して行動しているからだと思うんです。
その経験をいつもすることで、ちょっとずつこの能力の精度が高まるのです。
ぼくも、強さを手に入れたとはまだまだ言えないですが、弱いままでいいとは思わないです。
強くないと、誰かに協力するなんてできないんですよ。
助けたい人がいるから強くなるとは格好つけすぎだと思うので、「一緒に遊びたい人がいるから強くなる」、そういうことでいいんじゃないでしょうか。

英語のクラス。

2020.1.11

今日は書くことを決めないで書いている。
 
今月末から始まる英語のクラスのテキストが届いた。
どのくらいのペースで進めるのかがわからないので、少々どきどきするが、とても楽しみなどきどきだ。
内容としては、やっぱり中学生レベルなんじゃないだろうか。
それでも、語学学習は楽しい。
 
イギリス人夫妻がデンマークに移住した体験記『幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年』に、「語学学習をすると幸福度が高まる」というようなことが書かれていたと思うが(違っていたら申し訳ない)、実際に、英語を習っていると楽しいのだ。
 
何度も書いているが、日本語禁止の4時間もある英語のクラスが終わると、ヘロヘロになるが、誰かを助けたくなる心地良さでいっぱいになる。
クラスメイトも良かったのだが、色々な年齢で出身地も違う、職業も違う人たちが、焦ったりわからなかったりすることを、助け合いながら答える。
これを4時間も続けると、それは本当に気持ちがいいのだ。
 
これから始まるクラスは、前回よりも難しいクラスになっているのだが、テキストを読んだ限り、ちょうどいい難しさなんじゃないかと思えた。
ゆっくり読めば、解けなくはないレベルの内容だが、以前よりもわからない単語も出てきている。
「あぁ、中学一年から三年になったときって、こういう感じだったか」と懐かしい気持ちさえしている。
クラスはまだ始まっていないから、実際のところ、どうなるのかはまだわからないが、それでも、楽しそうだとわくわくしている。
 
「ビジネスで役立つから」という理由じゃなくたっていい。
楽しいから、やるんだ。
これはもう、趣味なんだよ。

歯列矯正からの学び。

2020.1.9

お付き合いのある人たちは知っているけれど、ぼくは今、歯列矯正をしている。
36歳の頃から初めて、ちょうど一年が経った。
ぼくが矯正治療を始めた理由は特殊らしく、これは専門家選びにも役立つ気がするので、今日はその話をしようと思う。
 
早速だが、ぼくが矯正治療を始めた理由は、口の中に疲労感を感じるようになったからだ。
年々、その疲労感は増してきて、インターネットで調べていくうちに歯列矯正に行き着いた。
「口の中に疲労感」と聞いてピンとこない方は、肩が凝ったときに感じるような疲労を、口の中でも感じていると思っていただければいい。
 
歯列矯正に行き着いたその後は、通える範囲での矯正歯科を調べ、ある程度目星をつけてから何ヶ所かカウンセリングに行ってみた。
すると、ぼくの症状を聞いた医師たちは、口を揃えるかのように「初めて聞いた」と言っていた。
実際、ぼくは左上の歯が一本少なく珍しいケースだった。
中学時代に地元の埼玉から電車を乗り継いで、お茶の水の大学病院にまで通って、生えてこない永久歯を抜くという経験をしていた。
大人になってから知ったのだが、永久歯が生えてこなかった人はそのまま放ってく人の方が多かった。
だから、こんな経験しているぼくは、けっこうなユニークケースだったのだ。
 
けれど、大事なのは、ぼくの口の中を見て、症状を聞いた歯科医師たちの対応だ。
ある医師は、初めて聞いた症状にも関わらず、一般的な方法を述べるだけだった。
一方で、「初めて聞いた症状=ユニークケース」と判断し、AプランとBプランを話してくれる医師がいた。
もうおわかりだと思うが、ぼくは後者の医師に依頼をした。
 
処置を含めて、すべての物事はうまくいかないことがある。
それがユニークケースなら尚更だ。
だからこそ、ぼくら専門家はどんなときも、いくつかのプランを想定している。
さらに、もしかしたら想定したプランはすべて失敗するかもしれない。
それでも、別の対応策を考えつくかどうかが、良き専門家とそうではない専門家との分かれ道だ。
もちろん、その中には「諦める」という選択肢もあるだろう。
 
ぼくらのデザインという仕事にも言えることだが、たとえばホームページ制作において、他の案件で制作したレイアウトを、そのまま持ってきて、絵柄やテキストを差し替えて完成ということは本来ありえない。
しかし、こういうテンプレート商売をしている事務所は存在しているし、けっこう多い。
本来ならば、似たようなケースはあるかもしれないが、ケース毎に行うべき処置は異なる。
そういう意味では、すべてのケースがユニークケースだと言った方が適切であり、その都度対策を考えて、やってみて、それでまた対策を考えて、やってみてを繰り返すことで、経験値と言われる暗黙知が積み重なっていく。
 
話を戻すと、歯列矯正を始めてから一年が経ったが、経験者たちが語るようなひどい痛みというのは経験していないのに、歯並びは改善されてきている。
毎回、どんな処置をして、今後、どういう処置をしていくか、ちゃんと説明をしてくれる頼もしい人たちだ。
 
このように、ぼくが依頼する人を選ぶとき、ぼくの問いに対して真摯に答えてくれることは、ひとつの目安になっている。
 
ちなみに、費用でいえば、そこは一番高かった。
毎回調整料金は払うし、基本料金も他と比べて高い方だ。
けれど、ぼくは満足している。
本当の意味での費用対効果というのは、安く買おうとするのではなく、提示された価格に対してちゃんと支払い、意味のある成果をもたらしてくれることだ。
そういう意味で、ぼくはお客だが、関係性は対等なのだ。
説明してくれた内容を信じて、任せている。
だって、ぼくは処置できないんだから。
これが大事。

『働き方1.9』を読んだ。

2020.1.7

ヒロシさんの『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』
昨年の11月ぐらいに読んだけれど、考え方がだいぶ近く、ぼくに何かを相談したことがある人なら、一度は言われたことがここでも読める。
 
特に「ヒロシです」のネタを芸人でもない業界人が「もっとこうしましょう」と修正し、その結果スベっても何の謝りも責任もとらないくだりと、「(引用)やりたくもないことをやったりすぐらいなら、無理をせず好きなことを自分のペースでやっていったほうがいい」はその通りだ。
 
ぼくらの仕事も、素人であるクライアントがあーだこーだ言ってはクオリティを下げ、その結果、利益が出なかったらぼくらのせいにされる。
なるべくクオリティを担保しようと努力して、利益が出たとしても、手柄はクライアントになる(特にマーケティング)。
だから、サンポノ開始時に、「こんなくだらないことをするぐらいなら仕事はしない方がいいし、それで暮らしができなくなるのなら自殺をしよう」ということを決めた。
 
その代わりと言ったらおかしいが、提案のレベルは事務所に勤めていたときよりも質も量も多くなっている。
これは、事務所内の人たちに余計な確認をしなくていいからだ。
ぼくの時間を奪い、クオリティを下げるのは、外にいる人間だけでなく、内にいる人間も当てはまる。
その人たちと余計なやりとりをすることもぼくのコストになるし、経営者の視点から言っても大きな人件費だ。
これについても、先ほど挙げたヒロシさんの本に書かれている。
コストと言うと、お金のことに意識が向かいがちだが、コストには「お金」「労力」「時間」「感情」の四つがあり、それぞれを足したものが本当のコストとなる。
これについては、二十歳の頃からぼくは友人たちに説明している。
 
ちなみに、ぼくの優先度は「感情>時間>お金>労力」だ。
何よりも自分の気持ちである感情を優先し、やりたくないことはやらないようにしている。
けれども、やりたいと思ったことだったら、新米がやるようなことも率先してやっている。
玄関前の掃除なんかもそうだ。
家の前が汚いのは仕事をする場所としてどうかと思っているのは自分なので、玄関前の掃き掃除は自分で行い、ついでだからと両隣の家の前も掃除している。
 
仕事の提案で実際に作ってしまうのも、この掃き掃除と同じ感覚だ。
絶対にいいと思って、相手の喜ぶ顔が浮かぶから、さっさと作って提案してしまう。
このときの労力や時間やお金はマイナスだが、感情はプラスだ。
そして、おもしろいことに、こういうことが積み重なると、マイナスだったはずのお金はプラスに転じる。
海老で鯛を釣ると言ったら失礼かもしれないが、ぼくにとってのやりたいことは労力としては小さく知覚されるのに、それが利益を生む。
 
事務所勤務時代は感情も時間も労力も犠牲にしているのに、低賃金で働き、安い食事をとっているのにお金も貯まらず、そして体を壊した。
「感情>時間>お金>労力」のコストについては二十歳の頃に気づいていたのに、事務所勤務時代のぼくはこれを実践できずにいた。
大事なことを忘れていたし、独立後、その事務所やそこで関わっていたクライアントが仕事をくれたことはない。
よく質問されるが、独立後の仕事はすべて新規の仕事であり、ぼく自身は営業をしていない。
独立するときには何の算段もなかったが、このまま死んだら確実に後悔すると思って辞めた。
それでも、なんとか3年はやってこれた。
これは本当に運がよかったと言うしかないし、お客さんに貢献できている今、色んな人に感謝の言葉しかない。
 
自分の感情を大切にすると、周りにいる人たちの感情も大切にするようになる。
それはお客さんもそうだし、家族に対してもだ。
海外で大きな賞も獲ったし、それでお客さんへの貢献もできた。
提案で実際に作ることで、クリエイターとしてのレベルも上げることができる。
しかも、忖度など必要がないから、素早く、クオリティも下がらない。
それもこれも、感情を優先するからだ。
ちょっとぼくの言葉だと信用できない人もいるだろうから、そんな人は是非、ヒロシさんの『働き方1.9』を読んで欲しい。

ただ、想像する。

2019.12.28

26日で仕事納めにしようと思っていましたが、27日もやっちゃいましたね、仕事。
ま、全部趣味だからいいんですけどねー。
 
今年は色々と変化がありました。
こうやって毎日ブログを書いていないと、見落としてしまいそうなものばかりだったかもしれません。
「全部趣味」「レゴ」「ガンプラ」「うんこアプリ遊び」「英語」「歯列矯正」「与える」「DAYS」「海外」「規制が先」「軽いは正義」……ざっと挙げただけでも、こんなにあります。
これらの細かいことはブログでも書いているので、気になった方は遡って読んでみてください。
 
仕事を納めてから何をするかというと、その年に撒いた種を、来年どうしようかということを考えるんです。
要所要所で考えてはいるけれど、社会の時間が止まった状態で、考える時間をまとめて得られるのは、とても貴重です。
先日、ある人と立ち話をしたときに、その方も「自分を見つめ直す」とおっしゃっていました。
足りているもの、足りないもの、どうしたら実現できるのか、人を喜ばせるのはどうしたらいいか、こういったことを撒いた種とごちゃまぜにして、想像します。
 
これを、大学の頃からやっていたかもしれません。
理由は、その頃から「独りの時間」を手に入れられるようになったからです。
誰もいないで、何も持たないで、空を見て、景色を見て、寝っ転がって想像する。
悩みではなく、迷いではなく、「あれをこうしたらおもろいな」や「これがああなったらおもろいな」や「これとあれがくっついたらおもろいな」なんかを考えるのです。
それは、社会が止まってる間にやるのが、適しているんですよね。
『ドラゴンボール』の「精神と時の部屋」は、この世の中にもあるんだよ。