Archive for the ‘心の健康’ Category

いくつかの気づき。

2018.11.17

湯船に浸かりながら、ここで書く内容を考えようとしていたのに、全然思いつきませんでした。
最近、こういう日が続いていました。
ネタがないのではなく、書くことを考えられない状態だったのです。
 
そして今日、「そうか、忙しいのか」と気づきました。
仕事は順調です。
ぼくらの仕事で「順調」ということは、案件で日々が動いているということです。
デザイン会社にいた頃の忙しさにならないようにと、案件数を調整しているので、時間的な切迫感はないです。
体力も平気。
 
つまり、「忙しさ」は、時間とも、体力とも違うところから来ているようです。
ということは、感情です。
「心が疲れてしまっているのか〜」と、書きながら気づきました。
充実感はありますが、発見がないことと、そっちに意思決定しちゃうか〜、ということの連続だったような気がしています。
レベルもひとつひとつ上がっていますが、誰かとの化学反応でレベルが上がるのではなく、自分の挑戦で上げている感じです。
だから、今までとやっていることは変わりません。
 
クリエイターだったらしないようなことと、遭遇しすぎてしまったのか。
これについては思い当たる節は多いので、あとはどう対処していくのか。
こういうことになっちゃうのかなぁ。

にゃ〜るほど。

2018.11.14

こういうのは気の持ちようだと思うのですが、変なものを引き寄せている気がします。
結婚前の両家顔合わせでは、仲居さんにビールをこぼされたり、先日は店舗内の通り道を塞ぐ荷物を置かれることが連続でおき、今日は椅子がベトついていて……。
まぁ、数えだしたらきりがなくなるほどの量なのです。
 
一方で、いいことを思い返していたら、ご飯屋さんの当たりくじが多いです。
釜飯屋、ダッチオーブン屋、輪島の各店舗、羊羹などなど。
「当たりくじ」と言ったように、こういうのは当たりハズレのある、くじ引きのような気がしています。
今日の椅子だって、ぼくが座らなければ、誰かが当たっていたわけだし。
ご飯屋さんの料理は、注文すればぼく以外でも食べれると思うか、ぼくの人生のなかで食べることができた出会いと思うかで、ずいぶん印象は違うでしょう。
 
ちいさなイライラが続いていた。
なにか分からないけれど、いい人になろうとしていたのも認めます。
白洲次郎さんのご自宅にあった、掘りごたつの書斎。
これほど素晴らしい書斎があったか〜、と感心しました。
これを考えていて、ふと気づきました。
 
ぼくは、ひとりになれる部屋を失っている。
それは、自由になれる部屋を失っている。
壁が孤独を生むように、壁による孤独が、人間には必要なのだなぁ。
誰かが悪いわけではないのに、イライラが募ってしまうのは、人に自由を奪われているからだろう。

弱さがうれしくなるとき。

2018.11.11

アレルギーを知ってから、ぼくはパンをほとんど食べなくなりました。
 
以外かもしれませんが、こうやって「できないこと」が増えると、嬉しいことも増えます。
レストランに行った際に、事情を話してコースからパンを除いてもらうと「時間はかかりますが、ご飯を炊きましょうか」と聞いてもらえたり。
もちろん、こういうことを強いているのではありません。
忙しいなかでの作業を増やしてしまいますし。
(そのため、店舗名は控えてます)
 
ま、単純にぼくが嬉しくなる、という話です。
そういうお店に、ぼくの大切なお客や家族を連れて行きたくなる、という話です。
 
話は変わり、自分の弱いところを知ったり、できないことを知る経験が、ぼくを人間らしくしてくれます。
いまの時代、自分の得意なことや、貢献できたことを主張することの方が奨励されるでしょう。
何かにおいて有能感を持たせる教育を受けるでしょう。
 
ぼく自身も短所を補うよりも、長所を伸ばした方がいいと思う方です。
しかし、目を向ける方向まで、長所のみになってしまうのは、どうかと思っています。
空腹が料理を美味しく感じさせてくれるように、長所を際立たせるためにも、弱いところは必要なのです。
いや、弱いところは弱いから愛おしいのかもしれない。
 
人によっては「大変だね」と言われるようなことでも、本人にとってみたら、いいものかもしれないのです。

考えることは善じゃない。

2018.11.9

ぼくの場合かもしれませんが、首の痛み、頭の痛みが慢性的につづくと、考える力も減ってきます。
打合せ終わりに、例の整体に行ってきたのですが、しばらくすると、ぼや〜んと頭痛がしてきます。
 
整体の先生曰く「考えすぎ」ということだそうです。
本人としては、以前よりも考えすぎを減らしていると思っているので、ちょっと残念です。
あ、考えすぎを減らしているのも、「考えることが善」と前よりも思わなくなっているからです。
考えることを善にすると、考えた内容よりも、「俺はこれだけ考えているんだ」という勝負になりがちです。
 
「俺はこれだけ考えた勝負」をしても、考えたものがいいものであるとは限らないですからね。
「これだけ愛しているんだ」と告白されても、相手が受け入れる理由にはならないのと一緒です。
「死ぬほど愛しているんだ」で死なれても、困っちゃいますしね。
 
結局、「俺はこれだけ考えているんだ」で勝負したら、「考えすぎて死んだ」が勝者になっちゃいます。
死んでしまったら、考えていることを伝えることもできませんし、考えをさらに改善しようと考えることもできません。
「死人に口なし」とは、よく言ったものです。

健康バロメーター。

2018.11.7

えー、これが載るときは11月7日なので、前日の6日にぼくはこれを書くことができないのです。
ということは、前々日の5日に書いているわけですが、6日は五時半起きなので、もう寝た方がいい時間です。
人よりも睡眠時間が長い、わたしゃあ特に寝たいです。
 
ちょっと、立て込んでいたものですから、ご飯もろくに食べていないです。
お風呂もお湯を入れたと思ったら、水だったし。
けっこう、悪い状態です。
 
ひとに時間をとられている感覚が大きいです。
どこかで気が急いています。
仕事もプライベートも、自分の時間というものを確保できていない気がしています。
こういうときは、仕事以外の会話がおっくうになっています。
 
健康バロメーターでもあります。
声に棘がある。
出張でなんとか回復できるのか、仕事を遊びに変えられるようにしないとな。