Archive for the ‘心の健康’ Category

バリ島ウブドで学んだこと。パート2。

2019.4.9

バリにいて感じていたのは、デザインを大切にしていないところは、サービスやホスピタリティの質も低いということ。
いや、逆に言った方が適切だな。
サービスやホスピタリティの質が高いところは、デザインも大切にしている、と。
ま、これは日本でも同じなんですけどね。
 
ただ、「笑顔」のホスピタリティが多いバリにおいて、これはとても顕著に表れていた。
デザインを大切にしていないと感じられる場所では、笑顔がほとんどなく、接客にも圧を感じる。
タコのようについて回ったり、テーブルの横に立っていたり、そういう場所では、お客であることの居心地の悪さを感じた。
 
逆もまた然り。
気持ちのいい接客をしてくれるところでは笑顔も多く、衣装が清潔であったり、グラフィックも抜かりなく作っていたりと、トータルのデザインを大切にしていた。
見た目にも、味にも、対応にも気持ちがいいのだから、こちらとしてもお金を落としたくなるもので、そういう場所では、色々と注文したり、お礼の印であるチップをはずむ。
 
けれど、バリにはチップをもらう習慣がもともとなかったのも手伝って、チップをもらわない人もいた。
ということは、本当に金じゃなくて、自らを捧げていたのだ。
これを彼らの言葉では「ンガヤ」というらしいが、日本で「金じゃない」と言っている人たちが、どれほど多くの人を傷つけているか。
そして、圧倒的に「笑顔」の少ない日本人が「ンガヤ」の精神を共通しているとは言い難い。
真心を相手に求めるのが、日本にいての感想だ。
日本で「金じゃない」という言葉がでるときは、クリエイティブというサービスを提供していて、酷くいいように使われるときだ。
 
そもそも、サービスにおけるホスピタリティというのは、受けた相手がそう感じるかどうかだ。
だからサービスの提供者は、ホスピタリティを持ってサービスを提供するが、相手がどう感じるかはわからない。
そして、これに気づいている人たちが、デザインも大切にしている。
そんな気がしてならない。
 
というのも、デザインを大切にしたくても、デザイナーにお金を支払えなければ注文もできないわけで、彼ら自身が稼いでいなければならない。
だから、ホスピタリティの高いお店は、低いお店よりも、サービスの金額は高い方になる。
けれど、先ほども書いたように、見た目、内容、対応が気持ちがいいのだから、お客としても支払いたくなる。
だから、値段が高くても稼げる。
日本で「金じゃない」と言っている人たちは、稼げないことを棚上げし、「金じゃない」の一言で周囲を疲労させている。
この違いはかなり大きい。
 
「ンガヤ」の精神は、金じゃない。
しかし、「ンガヤ」の精神を持っていると、稼げてしまう。
だから、本質は金じゃない。
 
こういうことを言うには、遠回りしなきゃいけない。
だから、「金じゃない」と言うのは、自分が何かをする側(捧げる側)に回ったときだけだ。
これは、ぼく自身もかなり気をつけていたことだったので、違う国でこれを感じて、とても励みになった。
 
写真は、素敵なホスピタリティのバリ ボヘミアハッツのパンフレット。
カユマニス ウブドもすばらしかった。
アルマ美術館はスタッフが可愛かった。
 

バリ島ウブドで学んだこと。

2019.4.8

先週はずっとバリ島にいました。
今回で三度目の海外でしたが、はじめて「もっといたい」と思いました。
考えてみたらこれまでの海外は、野宿、野犬、銃声、ホテルの窓には鉄格子、壁には行方不明者のポスター、道を歩いていると冷やかしと、緊張感を強いられる環境でした。
今回も都会と言われる場所を歩いていて、道端にいる人の目つきの違いを感じると、自然とこのスイッチが入りました。
 
でも、今回の旅行のほとんどは、緊張感を張らなくてもいい環境に身を置いたことで、とても楽しかったのでした。
この手配をしてくれた妻には感謝しまくりです。
そして、現地ガイドのアディさんに付き添ってもらうことで、バリ島についての理解度もとても深まりました。
風土のこと、宗教のこと、格差のこと、、、たくさんのことを教えてもらい、これからの仕事に活かせそうで、今からワクワクしています。
 
環境や文化が日本とも似ていながら、世界中から観光客が集まる地域、ウブド。
自然、文化、景観、ホスピタリティ。
日本に足りないのはサービスと言語。
そして、笑顔。
 
日本人は言語に目が行きがちになるけれど、実はサービスと笑顔が圧倒的に足りていない。
サービスが足りていないのに、笑顔のなくなる仕事なら、そもそもの根底を疑った方がいいのかもしれないとさえ思わされました。
それほど、世界中からお客さんが集まり、お金が落ちる結果を見せつけられました。
「気持ちがいいから、払いたくなる」というのは、日本にいるときの常連店の見つけ方と同じです。
これからバリについて、もっと洞察を深めようと思います。
 

こういうのもありか。

2019.3.21

今月に入ってから、虫の居所が悪い。
意識し始めたのが先週あたりで、その兆候は今月はじめから出てきていたような気がする。
特に何かをしている訳ではないが、いくつか理由は思い当たる。
徐々に積もって層になった状態はなかなか厄介だ。
数年前なら、弁証法的に「裏返る」ってことがあったんだけど、これがいっこうに起きる気配がないので困っている。
 
書くことが重たくなってきたので、風呂に入ってから書き直している。
湯船に浸かりながら考えていたのは、普段イラついていることを考えなくしてしまうという戦法だ。
「元からなかった」としてみる。
そんなことはないんだが、こう思うと、幾分か楽になった。
 
思えば、人は考えすぎている。
頭が固くなってマッサージを受けて、また固くなってって、なんのサイクルやねんって。
「けっして真面目なわけじゃありません!」と謝ってみたい。

独立は仕方のないこと。

2019.3.16

ひとりで仕事をしているといいのは、どこまでも試すことができる、ということぐらいだろう。
それを良しと思うのなら、ひとりを勧める。
独立相談を受けることがしばしばあるが、ぼくの場合は、好きで独立したわけではない。
仲間から「お前のようには仕事はできない」と言われる孤独。
 
昔からそう言われていた。
「誰もがお前のように〇〇じゃない」という言葉。
百歩譲って、褒め言葉として受け止めても、言われる方は孤独だ。
 
印刷など、本当にできないこと以外は誰かにやってもらっても、それ以外は巻き取るのがオチだ。
「あぁ、ここまでしかやらないのね」
「この程度でいいのね」
と思ってしまう。
誰かに何かを任すとき、少なからず期待はあるが、ことごとく期待は裏切られる。
その先に進もうと思ったら、自分でやらなければ、なんとかハラスメントになってしまう時代。
 
結局は、ひとりなのだ。
もちろん、体はボロボロだ。
それでも、いいもんが作れない方が嫌なんだな。
悪魔にでも命を渡した方がマシだ。
こういう考え方は、10年前と変わらんな。
そう思ってハッとする。
とっくのとうに、この仕事で10年超えちまったなぁ。
 
このブログのタイトル「キャッチボールをするような」は、ぼくの願望なのかもしれないな。

攻撃はいかん。

2019.3.13

いま花粉症に効くというお茶を飲んでいて、昼食終わりの休憩です。
実際に花粉症に効くかどうかは置いといて、まぁ、こういう普通のことがあります。
この時期、いろんな人が神経質になります。
8年前のことを忘れさせちゃいけないぞ、と口々に言います。
うん、その思いや考えも納得だ。
当事者であってもなくても、忘れることの悲しさもあるもんね。
でも、攻撃しちゃいかん。
忘れることも普通なのです。
少しずつ、おぼろげになって、少しずつ、思い出さない時間の方が多くなることも、健康的です。
そうじゃないと、あちこちで何かあったことを挙げる大会のはじまりです。
人から「大変だったね」と言われる人の方が、騒いでいなかったりもします。
「俺の方が不幸だ」とは、けっこう言わないものです。
周りが言っているだけのこともあるものです。