Archive for the ‘ビジネスの健康’ Category

全部趣味を見つけたとき。

2019.12.7

連日、「全部趣味」について書いていますが、言語化できたのはつい最近なんです。
何年もの間、折に触れてはこのことについて考えてはいたけれど、「あ、これだ!」という確信した言葉は見つからなかったんですよね。
今日は、「全部趣味」という言葉を見つけた瞬間について、お話します。
 
ぼくの特技でもある、関係ないものを結びつけること。
これは何でも仕事に結びつけて考えることができる反面、趣味らしい趣味を持てないでいる面もありました。
何かを始めて、「これはおもしろいな〜」と思っていると、深掘りして、考えますよね。
すると、「あ、これは仕事で使えるな」とか「あっちの案件とも関係あるな」とか「あの人に話したらおもしろそうだな」とかってなるんです。
すると、単なる趣味なものから、仕事の楽しみ方のように変化するわけですが、先日、趣味と呼ばれるものについてネットで検索していたんです。
 
すると、「写真」とか「デザイン」とかも趣味として含まれているんですよ。
「一人でできる趣味一覧」みたいな感じで。
400項目ぐらいあって、それをざぁっと眺めていると、職業一覧のようにも見えるんです。
それで、「あ、全部の仕事って趣味になるんだ」と気づいたのです。
 
人によっては「真剣味が違う」とかって言いそうですが、まぁ、そういう人もいるでしょう。
だけど、それって、苦しさや辛さが出てきますよね。
趣味としてやれば、苦しくなったらやめればいいわけで。
そして、また別の楽しいことを見つけたら、それを趣味にすればいいわけです。
これを仕事に置き換えたら、退職と転職ですよね。
こうやって考えてみると、仕事で発生することはすべて、趣味として考えることができることに気がついたわけです。
 
会計処理の作業だって、人と会うことだって、デザインだって、撮影だって、全部趣味だ。
そうしたら、趣味の楽しさを、これらのことに含ませることだってできるわけです。
逆に、会いたくない人とは会わなきゃいいし、やりたくないことはやらなきゃいい。
だって、全部趣味なんだから。
「All works are hobbies.」、ぼくにとっての座右の銘になったかもしれないです。

全部趣味 – All works are hobbies.のつづき。

2019.12.6

昨日、「全部趣味 – All works are hobbies.」ということを書きました。
外に向けて言ったのは初めてだったのですが、事あるごとにこのことについて考えていました。
 
「なぜ、仕事で苦しい思いをしなきゃいけないのだろうか」、はじまりはこんなところだった気がします。
「仕事って苦しいもの」という考え方が日本でも否定されるようになってきていますが、まだまだ苦しいものとしての方が常識でしょう。
「今日は会議ばかりなんですよ〜」と、太変さをアピールして忙しさに酔いしれる人も多いですよね。
これらは、昔のぼくの姿でもありました。
今なら「だったら辞めちゃえば?」と言います。
 
好きが高じて、これを仕事にした途端、たくさんの面倒が舞い込んできて、苦しくなる人も多いでしょう。
つまらない人と出会うことが多くなると、何でもつまらないですよね。
これ、もしも「趣味」だったら、辞めちゃうでしょう。
例えば、写真を撮るのが好きなのに、一緒にいる人があーだこーだと言い始めて、つまらない思いを重ねたら、その人と一緒にいるのを辞めたり、写真を撮るのを辞めるでしょう。
 
仕事も家事も、これと同じだと気づいたのです。
 
仕事であれば、つまらない人がお客だったら、その人はお引き取り願って、気持ちよく仕事をすればいいんです。
お客さんが全員つまらなくて、その仕事が嫌いになったのなら、仕事を辞めちゃえばいい。
もうひとつ考え方があって、会計業務とか面倒臭いことも、「会計業務が趣味」だと自分を勘違いさせちゃえば、これはこれでたのしくなっちゃうぞ。
家事だって、別に毎日やる必要はなくて、趣味なんだから気が向いたときにすればいいわけで。
趣味でやっているんだから、誰に何を言われる筋合いもない。
 
結局、忙しそうにしていたり、苦しそうにしている人は、相手につまらない思いをさせる。
たのしそうにしている人は、関わる人をたのしくさせる。
これは趣味でも仕事でも同じだ。
 
子どもの頃、写真をやろうと思わなかったし、デザインのデの字も知らなかった。
やり始めてから、毎日たのしく続けてきたら、人に喜ばれるようになっていただけなんだ。
仕事を趣味にしたんじゃなくて、趣味を趣味のまま仕事にしたんだ。
「全部趣味」、この考え方はもっとたのしくなりそうだ。

全部趣味 – All works are hobbies.

2019.12.5

さて、書くことがないぞ。
仕事をして、散歩して、また仕事して、夕飯つくって、英語の勉強して、また仕事して、お風呂にお湯を入れながら、これを書いています。
仕事ばっかりしていると、書くことは少ないのですが、仕事をしていると、それまで知らなかったことを知ることがあります。
 
今日で言えば、トランペットの形です。
記憶だけでトランペットを描こうとしたら、全く描けないんです。
遠目からのシルエットならごまかして描けるのですが、それをデザインに組み合わせてみると、やっぱりね、そこだけ「いいのか?これで」という甘さがあるんですよ。
そんなの、人は気にしないのは分かっているのですが、作り手にはバレているぞと。
 
それで、夕飯後の英語学習後に、トランペットの形を調べて、マイルス・デイビスが演奏している姿の写真を見ながら、「トランペットが活きている様子」を絵にしていました。
はじめからそうすれば早いのかもしれませんが、でも、結果論から考えると、実はここには辿り着けなかったりするんですよ。
遠回りしてこそ、辿り着ける答えがあるんです。
 
この仕事をしていると、こういうことが多く、その度に知らなかった世界を知ることになり、ぼくの中の世界地図が地殻変動を起こすんです。
些細なことだけれど、この積み重ねがおもろいんだ。
全部趣味だ。
All works are hobbies.

リニューアルは命を終わらすことでもある。

2019.11.30

リニューアルをするときの考え方を質問されたので、おそらく答えにはならないだろうと思いながらも、答えたことがある。
 
リニューアルのときの考え方。
それは「人殺しと呼ばれてもやる覚悟」だ。
ぼくは、「覚悟」とか「本質」って言葉が好きじゃないが、この場合はこれでしか言い表せない姿勢だ。
 
リニューアルをするということは、「リニューアルする前」がある。
どんなに出来の悪いものでも、悪いなりに生きた時間があったわけだ。
リニューアルは、それらの生きた時間を奪うことになる。
法の上での人である法人の人生を考えて、切除しなきゃいけない部分や入れ替えなきゃいけない部分がある。
その部分の生きた時間を終わらせ、新しいものを産むのがリニューアルだ。

人によっては「リニューアル前を活かしている」と言うが、それは詭弁だ。
形が変わるというのは、それまでの形の人生を終わらすということ。
些細な変更だとしても、看板を取り替え、広告を取り替え、名刺や封筒類、ユニフォーム、ウェブサイト……様々なものが取り替えられる。
取り替えられたものは、処分される。
処分され、生き続ける時間を奪われたものがいることを、十分意識した上で提案している。
 
この考え方は、ずいぶんと原始的だが、それぐらいリニューアルというのは重いものだ。
それぐらい、法人の人生というのは重い。

まだ再独立する前の頃、ひとつひとつについてこういう姿勢を話していると、「重すぎる」と言われたことがあったが、今となっては、これに共感する人だけがお客となるので、まぁいいか、と思っている。
特にじいちゃん、ばあちゃんが共感をしてくれるというか。
ありがたいことです。

『DAYS』を薦める理由。

2019.11.26

暗黙知に支配される人と、暗黙知を否定する人、実は同じ。
たしか、吉岡隆明さんの本だったと思うが「どんな職業でも10年続ければ食えるようになる」というのは、暗黙知を重ね、活用できるための年数でもある。
大学卒業を22歳だと仮定すると、その後10年間同じ職業を続けて、やっとそうなるということ。
転職を繰り返してしまった人が失うのは、職種の暗黙知がリセットされてしまうことだ。
転職する前と後の共通点を見つけ、その経験値を積み重ねることは、思っているほどたやすくはない。
そんなにみんな、したたかじゃないんだから。
まずは、自分が無能だということを十分理解すること。
『DAYS』の主人公が持っていることを、ぼくが出会う人々は持ち合わせていない。
彼がゴールを決めたときに、ベンチにいた彼の同級生が「報われて欲しかったんだ」と思っていたように、誰かに「報われてほしい」と願われる人が、この世の中でどれほどいるだろうか。
ぼくが出会った中で、仕事をやり過ぎている人の特徴は皆、「不安だ」と言う。
不安に駆られて、仕事をしてしまうと。
その気持ちはぼくも一緒だ。
「もっとよくできるんじゃないか」
「見落としているものがあるんじゃないか」
「見えていないイメージがあるんじゃないか」
自分を無能だと自覚することで、力をつけなきゃと駆られる。
すると、いつの間にか経験という暗黙知が積み重なっている。
毎日、この繰り返しだ。
写真を始めてから17年、デザインを始めてから13年。
まだまだ、この景色はおもしろい。