Archive for the ‘日々のこと’ Category

実現させる計画が夢。

2019.12.29

ぼくには叶えたい夢がないってことに気がつきました。
美味しいご飯が食べれて、温かいお風呂に浸かれて、温かい布団で寝れれば、それで充分。
この逆を知っているから、ぼくにとってはこれだけで幸せなんです。
不味い飯も、冷たい風呂も、凍える夜も、すべてありました。
死んだ方がマシ、というのは、ああいうことを言うんでしょう。
もう一度、ああなるのなら、迷わず自殺をします。
だから、やり尽くした状態になるために、いいことをしているんだと思います。
他人に対しても、歴史に対しても、いいことをし尽くしても、死んだ方がマシという状態になるのなら、もう人生を諦めるでしょう。
やり尽くし真っ最中の今は、正に幸せなんだ。
 
こういうことを夜中に思って、次の日の朝に妻に話したら、「他の人が言う夢は、あなたにとっては実現させる計画でしょ」と言われました。
あぁ、そうか、使う言葉の違いなんです。
思えば、本気で願ったことは、実現させるために少しずつ動いてきたものです。
そうやって、ちょっとずつ進むことで、叶えてきました。
 
そういえば、今やりたいことは何だろうと考えてみたら、「デンマークに行きたい」や「人から頼られて仕事がしたい」や「いい人と出会いたい」ということでしょうか。
発見のある作品を作りたいし、それはアートでもデザインでも同じです。
まだ見たことがない、未来の景色を作り出せたら、大きな喜びになります。
好きな人たちの助けになることが自分にできるのなら、それで役立てるのなら、これも喜びになります。
たくさんお金さんと友達になるのも、うれしいことです。
そうやって友達になったお金さんが、たのしそうに世の中に渡っていくのも、嬉しいことです。
投資とか、寄付とか、納税とかって、本来はそういう姿のはずでしょう。
仕事とか、付き合い方とか、生き方とか、やりたいことは、たくさんありそうだな。

ただ、想像する。

2019.12.28

26日で仕事納めにしようと思っていましたが、27日もやっちゃいましたね、仕事。
ま、全部趣味だからいいんですけどねー。
 
今年は色々と変化がありました。
こうやって毎日ブログを書いていないと、見落としてしまいそうなものばかりだったかもしれません。
「全部趣味」「レゴ」「ガンプラ」「うんこアプリ遊び」「英語」「歯列矯正」「与える」「DAYS」「海外」「規制が先」「軽いは正義」……ざっと挙げただけでも、こんなにあります。
これらの細かいことはブログでも書いているので、気になった方は遡って読んでみてください。
 
仕事を納めてから何をするかというと、その年に撒いた種を、来年どうしようかということを考えるんです。
要所要所で考えてはいるけれど、社会の時間が止まった状態で、考える時間をまとめて得られるのは、とても貴重です。
先日、ある人と立ち話をしたときに、その方も「自分を見つめ直す」とおっしゃっていました。
足りているもの、足りないもの、どうしたら実現できるのか、人を喜ばせるのはどうしたらいいか、こういったことを撒いた種とごちゃまぜにして、想像します。
 
これを、大学の頃からやっていたかもしれません。
理由は、その頃から「独りの時間」を手に入れられるようになったからです。
誰もいないで、何も持たないで、空を見て、景色を見て、寝っ転がって想像する。
悩みではなく、迷いではなく、「あれをこうしたらおもろいな」や「これがああなったらおもろいな」や「これとあれがくっついたらおもろいな」なんかを考えるのです。
それは、社会が止まってる間にやるのが、適しているんですよね。
『ドラゴンボール』の「精神と時の部屋」は、この世の中にもあるんだよ。

採用は「いい人」かどうか。

2019.12.27

もう何度もここで紹介しているが、今年読んだ本『GIVE & TAKE』は、大きな気づきを与えてくれた本だ。
「自主的」「与える人(ギバー)」「お節介」「いい人」……まだまだありそうだけれど、全部同じことだ。
来年、もしかしたら本格的に採用募集をするかもしれないが、人材に対してぼくが見ているのはいつも決まっている。
「いい人」かどうか。
それは、別の言い方をすれば「ギバー」かどうか、となる。
 
お節介、与えること、いい人が同じだと言ったが、難しいのは、従業員である限り、「確認」や「やりとり」が、経営者よりも発生してしまうことだ。
本当に自主的な人は指図されるのが嫌いだし、まったくの受け身な人は「いい人」とは言えない。
ただ、これも仕事内容によるだろう。
ぼくらのような、人の指図によって、クオリティが下がるような仕事内容の場合、やりとりは必要最小限の方がいい。
だが、契約書や法律に関すること、お金に関することの場合、どんな立場であっても確認をしないのは、ストンドプレーが過ぎることになる。
 
それ以外のことであれば、「自分にとって余裕なこと」であれば、わざわざ確認など必要のないことだ。
周囲の人たちも、その人に任せてしまった方がいいことはわかる。
阿吽の呼吸と言えばいいのか、いい人同士というのは、こういうやりとりがわかるものだ。
 
これを把握するためには、謙虚さと勘の良さが必要になる。
これは、ぼく自身もデザイン事務所に勤めていた頃、上司に確認すること・しないことを察知していた。
そういう意味では、勘の良い方なのかもしれない。
一歩引いている謙虚さと勘が良くないと、お節介を働くにしても、うるさいおやじの一言になってしまうものだ。
 
ただし、今までの人生で、他者にお節介を働いてきた「与える人」というのは、たとえ若くても勘が良いものだ。
それは、与えることのトライアンドエラーを、与えない人よりも経験してきたからであり、与える勝負の土俵に何度も立っている人だからだ。
与える人が燃え尽きるのは、周囲に「奪う人」や「損得勘定の人」がいるからだ。
ぼく自身、ギバー(与える人)かどうかのテストを受けてみて、そうだったわけだけれども、それ故に、利己的な人(テイカー)や損得勘定で動く人(マッチャー)を周囲に置かない方が、身のためだということがわかった。
 
ぼくが長いこと人を採用できなかったのは、与える人が世の中に存在するのか、自信がなかったためだ。
足りないスキルを補うためなら、依頼をすればいい。
それが「依頼」と「採用」の違いだが、ギバー、テイカー、マッチャーの違いがわかると、依頼をするときの判断もしやすくなった。
与えることについてわかると、利己的に与えること、損得勘定で与えることなども理解することができるようになったからだ。
そして、本当に「与えることが性質な人」も、わかるようになった。
ぼくは、与える人と、一緒に仕事がしたい。
与える人が多くないと、事業というのは転覆するものだ。
スキル?う〜ん、ちょっと違うな。
いい人かどうか、ただそれだけ。

『パディントン2』はおもしろい。

2019.12.26

『パディントン2』を観ました。
ストーリーはお約束で、可愛い小熊が奮闘する映画ですが、最後は泣いちゃいます。
劇中、パディントンを住まわせている家のお父さんが「彼は誰にでも親切で、どんな人にも良いところを見つける」と言ってたのが印象的でした。
そして、誰もがパディントンの無実を晴らそうと、協力します。
 
「彼が良い人(熊)だから、周囲の人が協力する」という因果関係はないんですよね。
けれど、悪い奴に協力する因果関係はさらにないわけです。
大事なのは、パディントンが、見返りを求めずに、いつも親切をしていたということだけです。
それがドジっちゃうことになったとしても、親切心を働くというおばさんの教えが変わることはありません。
そして、ストーリーの中心も、そんなおばさんに親切したいという想いから始まりました。
 
とても好きな映画だなぁ。
ちょっとのかけ違いで、心細くなってしまうこともあるけれど、こういう人(熊)に報われて欲しいって思うんです。
親切を働く人が損をするなんて間違っています。
世の中は、そういう風に動いてしまうこともあるけれど、やっぱりね、親切を与える人(熊)は、幸せになって欲しいんです。
映画のように、改心することはないかもしれないけれど、それでも、影響はあるんじゃないかと信じていたいです。
 
今年、『GIVE & TAKE』という本を読んで、とても大きな気づきがあったけれど、パディントンも与える人(熊)なんですよね。
与えるって、人を動かすんだよな。

利他的のすゝめ。

2019.12.25

「リモートワークをしたい」と言うときに、自分のQOLを高めることを理由に挙げる人がいるが、これは残念ながら間違っている。
その人の中では筋は通っているかもしれないが、仕事というのは「長けている人」と「足りていない人」がいて成り立つものだ。
そして、この両者には絶対に埋まることのない知識や技術の隔たりがあり、それ故に、「長けている人」には職業倫理が求められる。
 
有名なヒポクラテスの誓いで説明するなら、職業倫理とは「私は患者にとって不利益になることは絶対にせず、患者にとって利益になることしかしない」という仕事における倫理観だ。
患者というのは知識や技術が「足りていない人」であり、これは医療だけでなく、すべての仕事は「足りていない人」と「長けている人」によって成り立っている。
つまり、リモートワークをする理由は、「『足りていない人』にとって利益になるから」でなければいけない。
QOLが高まることで仕事のパフォーマンスが上がるが、リモートワークでQOLを高めて、仕事のパフォーマンスを高めるというロジックならば、それは間接的なパフォーマンスの高め方であり、リモートワーク云々の話ではなくなる。
すべてはパフォーマンスに直結しなければ意味がないのだ。
 
一方で、客先常駐を求めることも、間違っている。
世の中にこれほどの会社がある中で、常駐してもらわなければ会社のパフォーマンスが下がるのなら、その会社のコミュニケーション能力の低さを表しているに過ぎない。
つまり、その会社に必要なのは、新しい人に常駐して働いてもらうことではなく、既にいる人達のコミュニケーション能力を高めることだ。
ぼく自身、すべてのクライアントに常駐せず、メール、電話、ビデオチャット、そして会いに行くことを、TPOに合わせて使い分けることで、有意義なやりとりになるように努めている。
これには高度なコミュニケーション能力が必要なのかもしれないが、製品やサービスを提供する側のコミュニケーション能力が低ければ、その製品やサービスの魅力など伝わるはずもなく、ユーザーの購買につながるはずもないのだ。
また、いま世の中で頻繁に求められているUX(顧客体験)とは、社外にいるユーザーの視点に立たなければならないのだから、社内にいながらその視点に立つなど、自分で自分の背中を見るぐらい不可能な話なのだ。
これを裏づけるかのように、客先常駐させている企業やデザイン事務所で、素晴らしい業績を上げているところを見たことがない。
 
いまの世の中、フリーランスもクライアントも、自分のことしか考えない勝手な人たちが多いのが、日本の病でもあるのだろう。
利他的である人が、最終的には得をする社会でなければ、この病は進行してしまうんだ。
それほどまでに、人間というのは弱い生き物なんだ。