Archive for 2014.9

映画の話。

2014.9.26

『ザ・イースト』という映画は、なかなかいいと思った。主演女優は綺麗だし、誰もが少なからず抱いているだろう、「企業の環境破壊は、トップや重役が責任を被れ」という想いが描かれている。劇中で描かれているやり方に疑問を持つ人もいるだろうが、環境が汚染されていく様にどう対処していいのかわからない人達や、その被害を出し続けている当事者への制裁は必要なのでは、と思っている人達には、どう映るのだろうか。
 
甘いと思うのか、やり過ぎと思うのか、主人公のように違うやり方を見つけるのか——人によって、違うのだろうが、僕にはどんなことにおいても、少なからず「目には目を」という考え方がある。しかし、それをどう傷つけずに、気付かせ、変えていけるのか、難しいことだ。善と悪とで決着をつけようとすれば必ず、暴力が生まれる。
 
そういった「問い」を投げ掛けるだけで終らずに、主人公が別のやり方を見つけたように、「あなたのやり方」を考え、発見させる映画となっている。

“WAVE”について。

2014.9.23

昨年から波に会いに行くことが増えた。静かな波も好きだが、しぶきを立たせる勢いのある波の方が今は好きだ。こういうマントがあれば包まれてみたいと思うし、それは女性だったと気がつく。そのエロさに惹かれているのだろう。波は女性だ。包まれ、翻弄され、命を捧げることになる。そういう自然の圧倒的な存在感に安心するのは、一人では生きられなかった胎児の頃の自分を思い出すからだ。こういう時があったのだと。たとえ人類が自分一人になったとしても、制作を続け、それは藝術でも商業美術でも構わなく、同じことをしている自信を持ってしまった今、あの頃の人類の記憶が懐かしくなる。それを思い出し、自分が生命の記憶を脈々と受け継いでいることに安心する。自分は地球に守られていて、いつでも殺されることが出来るのだということに、安らかな涙がこぼれるのだ。
 
I increased opportunity for go to river. I like intense wave also calm wave. I hope to be rapped this wave, and notice this is woman. I remember when I was a fetus, cannot live alone. This memory give a sense of security for me.

昨日のこと。

2014.9.21

静かに暮らしたい。右の首の付け根が痛むのも手伝って、曇天ゆえの出不精の言い訳を考えている。でも、美味い酒を呑みに出掛けるだろうし、自然と人工物の中間を愛でるだろう。南方熊楠氏の萃点の思想に久し振りに触れて、自分の求めていた場所を思い出した。
 
何をする必要もなく、何処に行く必要もなく、何かを手に入れる必要もない。全ては、天と自分の関係を信じることから始まり、いつでも笑って死ねる自信にて終わる。
 
何を作るのかも藝術の神様によって決められていて、それでいて自由になれる。私が別の人になれば、その人が中心(萃点)となり、四方八方へと別の関係性が生まれる。そうして、全てが繋がり、環境によって自分が作られながら、自分が認識することで環境が生まれることに気付き、それが安心感と祈りの気持ちに変わっていく。

故郷を愛せるか。

2014.9.20

生まれ故郷以外の国や文化、宗教の方が肌に合う——そういうことがあるのは一向に構わないが、肌に合ったもの以外を非難するのはいかがなものだろうか。どうせなら、生まれ故郷に馴染める方が、人間として生まれてはいいものかもしれないが、それさえも本当はどうでもいいことであり、自分と合うものを見つけるか、自分が適応するかのどちらかだ。
 
それにしても、アメリカ、ヨーロッパ、タイ、インドなど、僕ら日本人はどうして日本を愛せないのだろうかと常々疑問に思う。もちろん、僕も日本の年功序列や海外贔屓、変化を恐れる風潮は馴染めない。しかしだ、それを差し引いても、僕は日本を愛している。愛国心やそのために戦争をしようとは思わないが、日本の季節や「をかし」を理解する遺伝子が好きだ。 
 
そして、欧米だろうと、他のアジア圏だろうと、結局は同じ終着点に向かう思想を持っている。それにも気がつけば、他の国を特別に愛でて日本を批判するのではなく、他の国も日本も愛でることができるのではないだろうか。

民族衣装の不思議。

2014.9.15

昨夜、沖縄料理店で呑んでいましたが、店員さんが民族衣装を着ていました。いつ見ても民族衣装は面白いと思います。というのも、どの国の民族衣装もそうですが、機能性は低く思われるような格好であり、仰々しいように見える装飾品を付けています。そして、何故か「美しい」。
 
街中で見かけたら可笑しいのかもしれませんが、TPOに合わせて着ると、環境との相乗効果か、とても美しいように見えるものです。
 
最後まで髪飾りを見つめてしまいましたが、その不思議さは消えませんでした。
 
店内には、他にもお客さんがいたので、民族衣装を着ている姿をボヤ〜っと想像してみたのですが、あまり似合わず、店員さんと比べてみると、店員さんが皆、顔立ちがはっきりしながら頬が健康的にふっくらとしており、全体として健康的なやせ形だと気がつきました。
 
あぁ、そうか。民族衣装には土着的な意味があり、人間にも土着的な遺伝があるので、それが通じていないと、似合った着方は難しいのかもしれない。
 
もしくは、着ていくうちに民族衣装が似合う体になっていくのかもしれないですね。