Archive for 2020

慣習に疑問を持つすゝめ。

2020.1.4

気づいたことがあった。
 
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」の「今年もよろしくお願いします」が余分なんじゃないか。
 
「よろしく」の語源をインターネットで検索すると、「うまい具合に」や「適当に」という意味が出てくる。
つまり、「よろしくお願いします」は「うまい具合によろしくやるようお願いしますね」という意味になる。
ネット程度だと詳しい語源が出てこないから、正確さには欠けるけれど、使われ方としては、的外れではないだろう。
 
話を戻すと、「今年もよろしくお願いします」と言うのは、何も相手に与えていないのに、「うまい具合に付き合ってくださいね」というお願いをすることになる。
昨年読んだ『GIVE & TAKE』という本の言葉を借りれば、与えていないのに、貰おうとするテイカー(利己的に奪う人)の特徴だ。
 
さらに厄介なのは、こういう話をすると、必ずと言っていいほど「慣習だから」と言われるのだが、日本の社会で問題になっていることの原因は、慣習が多い。
終身雇用や年功序列も慣習が原因だし、生産性を上げようとする試みも慣習が邪魔をする。
 
つまり、「今年もよろしくお願いします」と当たり前のように言っていることは、何も与えずにうまいこと得ようとする利己的な性格と、慣習だから疑わない性格を作り出すのを手伝っているんじゃないだろうか、と思った次第だ。
 
思えば、こういうことに疑問を持つのも、特異な視点となる。
そして、こういった視点を提供することがうちの事務所の価値となり、評価となって、仕事が生まれている。
 
「慣習」に疑問を持つことは、阿呆なことのように思えるかもしれないし、たくさんの批判を受けるようなことだけれども、「多くの人が持つ視点」と「特異な視点」の両方を持つ訓練としてはおすすめだ。

遺伝と環境。

2020.1.3

遺伝とかDNAということについて考えていました。
場所によっては「血」と言う時もあるでしょう。
けれど、これらが話題になるとき、大抵は悪いことを言うときです。
 
これに気がついたのは、健康診断でぼくのコレステロール値が基準よりも高かったことが、遺伝的なものだということがわかったからなんです。
元々、体は弱い家柄なんですが、久し振りに遺伝的という言葉を聞きました。

『スターウォーズ』も「血」にまつわる話です。
そして、血にまつわるストーリーは、そのタレント性が強いものであっても、苦難が待ち構えています。
「二世タレント」と言われる方々も、メリットはあるけれど、いらんハードルもあります。
 
そう考えると、遺伝と呼ばれることで、手放しでいいことが見つからなくなったのですが、もしかしたら、逆を遺伝されていたら、「遺伝っていいよね」と言っていたかもしれないですよね。
 
たとえば、体の強さを遺伝されていたり、身体的特徴で優れていたり。
こういうと元も子もないですが、最初に受け継いだ遺伝子で、すべて決まっちゃうんじゃないだろうか、とさえ考えちゃうんですよね。
「遺伝50%、環境50%」とも言われているけれど、ネガティブな方を50%しかないと捉えるか、50%もあると捉えるかって、やっぱり始まりが肝心な気がしたんです。
 
能天気に過ごして幸せに生きてられるのなら、それはそれで素晴らしいですが、そんな人と会ったことがないもんな。
裏を返せば、どこかでぼくらは、ネガティブな状況をポジティブに闘う術を手に入れていく生き物なんじゃないだろうか、と考えています。
「ピンチはチャンス」って色んなところで言われるのも、ピンチは普通にあることの裏返しなんですよね。
と言うことは、「環境50%」は、「ピンチはチャンス」を学ぶことなんじゃないだろうか。
コーチングや良き上司と言われる人も、ピンチをチャンスに変える術や考え方を提供できる人だったりします。
そうか、生きるとはピンチの連続を楽しめるかどうか、ってことだ。
ちょっとした発見でした。

学ぶ前に謙虚さを習得する。

2020.1.2

昨日の続き。
なぜ、見た目を整えることが大事なのか。
それは「見た目がだらしない人のことを、社会は信用しにくいから」というのは昨日話したが、だからと言って、デザインが浸透したかというとそんなことはない。
「世の中にデザインが必要だ」という風潮になっている現代日本においても、これは二分される。
経産省から「デザイン経営宣言」が発表されるなど、日本国内でもデザインの重要性が広まってきたが、「デザインとは何だ?」と疑問を持ち、本当の意味で「デザインを知りたい」と思う人は少ない。
しかし、そういう人は見た目でわかる。
本当の意味で「デザインを知りたい」と思っている人は、見た目が整っているのだ。
少なくとも、見た目がだらしない人、好みで押し通している人はいない。
 
髪型や体型が流行に乗っている人は「デザイン思考」とか「UX」という言い方が好きな傾向にある。
そういう人は、デザインを理解するのではなく、自分のためにデザインを利用したい傾向が強く、学ぶことが下手な傾向にある。
実は今っぽい格好をしている人よりも、可もなく不可もないような格好をしている人の方が、デザインの理解度は深くなる。
これは学ぶときの姿勢に影響しているが、自分を強く見せる格好を選んでいる人は、学んでいるときに謙虚になりにくい。
一方で、可もなく不可もない格好を選んでいる人というのは、自分が人と会っているときに、相手に強い刺激を与えないように配慮をしている傾向がある。
これが、見た目に無頓着な人であれば、自分の好みで服装を選び、ちぐはぐな組み合わせになる。
 
つまり、強く見せる格好や好みに偏った服装を選ぶことは、利己的な振る舞いであり、それをしないようにするためには、謙虚さが必要なのだ。
そして、可もなく不可もない格好を選んでいる人ほど、学ぶときの謙虚さを持ち合わせている。
もしも、最低限の見た目の整え方を学びたいのなら、学ぶときの謙虚さを習得しておく必要がある。
学び上手は、何をしてもうまくいきやすい。

初心者のためのデザイン心理。

2020.1.1

正月とまったく関係のない内容ですが、今年もサンポノをよろしくお願いします。
それでは今日の話です。
 

この数年考えていること。
 
「なぜ、デザイン事務所はBtoBなのか?」
 
これだけ「個人の時代」と叫ばれている中で、法人相手の仕事しかしていないデザイン事務所が多い。
むしろ、それしかない。
「デザインの作り方」や「写真の撮り方」の書籍がどれだけ販売されていても、こういった本を読むのは専門家になりたい若手だが、この数はおそろしく少なく、お金も持っていない。
 
デザインというのが見た目しか関わりがないと思われているのはまったくの誤解であり、思考の現れが見た目であり、思考も含めてデザインである。
けれど、そんな話をしなくとも、「見た目が大事」と潜在的に理解している人は多い。
それは、見た目にによって、個人の中身を判断されてしまうからだ。
見た目がだらしない人は信用されにくいのは、残念ながら、覆せない心の働きだ。
同様に、見た目が社会と合っていない人は、避けられやすいものだ。
ファッションの街では奇抜な格好でもいいかもしれないが、そうではない場では奇抜な格好は信用されるためのハードルが高くなる。
 
極論を言えば、鼻毛は自然に伸びるのに、鼻毛を出しっぱなしにして会社に来る人は少ない。
寝癖のままの髪型で、会社に来る人も少ない。
寝癖のまま会社に来れば、「タイムマネジメントができない人なのか?」や「この人を社外の打合せに同行させて平気なのか?」と思わやすい。
これは性別問わずであり、潜在的に多くの人が理解していることでもある。
しかし、蔑ろにされやすかったり、主観で押し通してしまうことでもある。
 
これをデザイン論理的に話せばこうなる。
 
「見た目がだらしないと、他人からの信用を得られにくい」というのは「事実」だ。
これを研究している論文は数多くあるが、書籍として読みたい人がいれば『しらずしらず--あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』という本を読むといい。
この「事実」を前提にし、他人に悪く見られたくないという不安を解消するために、人は見た目を整える。
「不安の解消=目的」で「整える=行動」だ。
これはネガティブの解消だが、ポジティブな方向で考えるなら、人に良く見られたいという欲望を満たすために見た目を良くする。
この場合は「欲望を満たす=目的」で「良くする=行動」だ。
まとめると、ネガティブにせよ、ポジティブにせよ、事実としての前提があり、事実に対して目的が発生し、目的を達成するために行動する。
 
そして、良くするのは際限がないが、最低限の整え方は決まっており、個人の好みや主観ではなく、習えば誰でもできることだ。
ここは重要だ。
最低限の整え方は、個人の好みや主観ではなく、習えば誰でもできることだ。
 
人に良く見られたいという欲望には際限がないが、人に悪く見られたくないという不安には最低限のレベルがある。
これは、数々の法人や個人と会っていて、最低限を知らないから、間違っている見た目を選んでいる人が多いことがわかった。
それは、デザイナーでも同じだ。
法人相手であれば、ぼくも含め普通にデザイン事務所が提供しているが、個人に対して提供できないだろうか、と考えるようになっている。
わかっている事務所は始めているし、ぼく自身もやっているが、クライアント企業を育てることを仕事にしている事務所も出てきている。
 
見た目が悪くて平気という人は、実はそれほど多くない。
多くないということは、「見た目は大事」もしくは「見た目も大事」という人の方が多いということだ。
繰り返しになるが、「見た目」には「個人の内面」が現れると思われるからだ。
個人の内面は、法人的に言えば「思想」や「哲学」となる。
数年前に企業ホームページで流行った「Philosophy」というのは、企業の内面を言葉にして見えるように整えたものだ。
 
こういったことは、単純な方法論であり、「こういう見え方にすると、こういう印象に受け取られる」というデザイン心理学的な話だ。
この「単純な方法論」を、個人で困っている方々へ提供できないだろうか、と考えている。
いや、「困っている」というよりかは「一度諦めてしまった」方々だ。
実際、ぼくのところには個人的な相談も多い。
その中には、人生相談もあれば、選び方を質問する方もいる。
それが、うちの事務所サンポノの一番の特長だろう。
 
ただし、質のレベルを高めることは、価格を高くする。
法人相手であれば「際限がないレベル」に及ぶから価格は高くなるが、「最低限のレベル」で構わないのなら、伝えるだけで十分なので、価格は下げられるんじゃないだろうか。
 
最低限のレベルであれば「整ったものを選ぶ」。
汚れた場合、お金が使えるのであれば、「買い換える」。
お金が使えないのであれば、「手入れ」をする。
ほとんどのお金を持っていない人が理解していないのが、手入れをされていないものを味と言うのは主観だが、手入れがされているものを味というのは客観になりやすいことだ。
だから、糸のほつれは直した方がいいし、靴磨きはした方がいい。
Tシャツにおいても深めの襟ぐりなのか、くたびれて伸びきった襟ぐりなのかで大分違う。
柔らかい生地なのか、硬い生地なのかも、印象は変わる。
くすんだ茶色なのか、おろしたてのブラウンなのかも、他人は知覚できる。
爪を整えること、髪型を整えること、服装を整えることだけで、信用度のハードルは大きく下がる。
これもデザイン心理だ。
そして、最低限の整え方、TPOに合わせた整え方がある。
ちなみに、ぼくはいつでも仕事がしたいので、自分に対して最低限の整え方をしている。
最低限の整え方を伝える個人によったデザイン事業、それができないだろうか。
そこから整えることに興味が深まってデザイナーになりたくなっても、ぼくは教えられる。
企業に対しても教えられる。
ん?なんかできそうだな。
「初心者のためのデザイン心理」、「デザイナー育成」、「デザイン部組成」。
あ、できた。