Archive for 2019.6

町を好きになるためには。

2019.6.20

知らない町を好きになるには、おいしいご飯屋さんを見つけられるかどうかが鍵な気がしている。
学生の頃にイベントに参加して以来、縁遠かった町、三軒茶屋。
バスで行ける距離に引越したこともあって、頻繁に行くかと思っていたら、当初はあまり馴染めなかった。
男物も売っているハンカチ屋さんに行くようになり、そろそろハマり出すかなと思っていても、ハンカチ屋さん以外はなかなか馴染めない。
けれど、おいしいカレー屋さんを見つけてからは、少しずつだが、贔屓にするお店と出会えるようになってきたのだった。
ハンカチ屋さんもカレー屋さんも三宿なので、純粋に三軒茶屋と言っていいのか迷うところだったが、落ち着く漫画喫茶さんや、ボリューム感たっぷりの中華料理屋さん、そして、最近ハマっているラーメン屋さんと次々にいいお店と出会うようになった。
中でも最後のラーメン屋さんは、三軒茶屋に行けば必ず行ってしまうほどになったお店だ。
化学調味料を使わず、グルテンフリーの玄米麺を選べるのにも関わらず、千円を切る企業努力全開のラーメン屋さん。
味は塩味(えんみ)の効いたキレのある醤油系。
こういう健康系飲食店だと、量も少なく味もボケているのに、大層な値段で、上から目線の接客になっているお店も少なくはないが、ここは大丈夫。
とても気持ちのいい接客と、清潔感のある店内で、落ち着いて食べることができる。
そうそう、書いていて気づいたことがある。
いま挙げた店舗はどこも、接客が丁寧で気持ちいいんだ。
別に神様のように接する訳じゃないけれど、嫌な気がしない接客というのがある。
「いらっしゃいませ」の挨拶をお客の方を見て言うとか、お客の雰囲気を察してから声を掛けてくれるとか、自分が人として大事にされている気持ちになるんだ。
提供する商品の品質と同時に、接客の品質も大事なんだよなあ。
本当に、毎回勉強になる。
業種は違うけれど、自分も見習わないと。

ただの寒天。

2019.6.19

朝食に甘味を食べるのが好きなもので、種類を変えながら長いこと続いています。
それで、引越しをしてから作っていたのが牛乳寒天です。
そこから杏仁豆腐。
そんで今はただの寒天。
水と粉寒天を煮立たせて冷やしただけの寒天と、精製していないきび砂糖に、水を加えて煮詰めただけのさらりとした黒蜜。
結局、これに行き着きました。
これにフジッコの黒豆をちょこっと加えて、毎朝おいしく食べています。
しかし、子どもの時はあまり好きでなかった寒天の甘味。
最近スーパーで買った葛切りを食べて、よく分かったことがあります。
酸味が不味い。
伊豆で食べて以来好物の葛切りも、不味いものは不味いんだ。
なんの成分がそうさせているのか、とにかく、スーパーで買う寒天系の甘味って、不思議な酸っぱさがあります。
これが苦手なのです。
(得意な人を非難しているわけじゃないですからね)
寒天と黒蜜も、自分で作っていたらもっと早くに好物になっていただろうか。
いや、タイミングなんだろうな。
好きになる時期と、作ったタイミングがピッタリあったのでしょう。
人間関係も食べ物もピタッとハマるって、タイミングなんですよねー。
棒寒天で作ってみたいけれど、どうせならいい棒寒天を使ってみたいです。

わかったこと。

2019.6.18

本当に、人生というのは不思議だと思います。
悪い報せと良い報せが交互にやってくるような。
ただ、その報せの渦中で、ぼくのやることというのは、デザイナーとしての役割と、クリエイターとしての使命を果たしながら、関係者がどうしたら不安を取り除き、喜ばせることができるのかということ。
その喜びの先に、お客さんであるユーザーの喜びがあるからね。
役割は分かるとして、使命ってなんやねん、と突っ込まれそうですが、ぼくにとっての使命は「歴史を引き受けて、次につなげること」だ。
これについては、何度も書いているから割愛するとして、つくづく最近思うのです。
自分の持てるものを与えるのが、自分の人生だったのだって。
ちょっと、おっさんくさいですかね(笑)
ただ、与えたからといって、自分の成長が止まるかといったら、そんなことはなく、たぶん、与えることで成長する時期に入っているんだろうなぁ、という気もしています。
がむしゃらに体を鍛えるような、若さのカードを使い切っているような気もするんですよね。
これからの四十年を現役で生き抜くための、新たなカードを使いながら補充というか、獲得していくのを確信を持ってやっているような心地です。
よくわからんって言われても、まあ、しょうがないです。

『松浦弥太郎の新しいお金術』を読んでいる。

2019.6.17

松浦弥太郎さんの『松浦弥太郎の新しいお金術』を読んでいると、勉強になりながら自分とお金についての考え方が近いことに気づく。
お金のことを「お金さん」と呼ぶほどではなかったが、著者がお金のことをそう呼ぶように、根底にあるのは「お金は大事」という意識があるからだろう。
これは家族は大事、生きがいは大事、仕事は大事、自然は大事といったことと同じであり、そのものに支配されるでもなく、よき友として一緒に生きることだ。
 
ぼくのようにアートやデザインを仕事をしていると「金(かね)じゃない」と言いがちだが、これを言っている人でお金に不自由していない人と、ぼくは出会ったことがない。
それは、クライアントも同様で、そう言っている事業は稼げていないか、従業員や関係者に無理を働かせている。
だから、助成金に頼ったり、NPO法人になろうとするが、自分のやりたいことに他人を巻き込んでおいて、他人のお金に頼ろうとしていることに気づいていない(すべての助成金取得事業者やNPO法人がそうだと言っているのではないことをお間違いなく)。
だから、彼らは自分たちの事業のことを「社会貢献」と声高に叫ぶしかないのだが、社会貢献にならない仕事など、この世の中に存在しない。
そんな訳で、彼らは自分の事業について話をするとき、全然楽しそうに話さないし、聞いている人たちも楽しそうに聞いていない。
 
お金と友達になれないと、人と友達になれないのと同じで、お金のことを悪く言って傷つける人というのは、自分の事業で巻き込む人や関係ない人たちまで傷つけることになる。
ぼくにとってお金はとても大切だし、お土産を買うなどして人を喜ばせるのも好きだ。
学ぶ機会を与えるのも好きだし、旅行も好きだ。
仕事道具や生活用品を選ぶのも好きだし、美味しいものを食べに行くのも好きだ。
このすべてにお金がぼくを助けてくれている。
お金に感謝しない日はない。
今日から「お金さん」と呼ぶ日を増やしていってみようと思った。

こだわりと組織力。

2019.6.16

昨日の投稿から製品のことを知りたいってことで、ちょっと載せておきます。
寝ホンは「ADVANCED “Sleeper”」、電源タップは「Fargo “TAPKING USB ベージュウッド”」。
 
調べてみると、それぞれ音楽機器メーカーと、電源タップメーカーなんですね。
電源タップに特化するってヤバイっすね(もちろん良い意味です)。
どちらも特化することで、本当に痒い所に手が届くまでのニーズをキャッチできるんでしょう。
さらに、キャッチした後の商品化へ進む組織の決定力も、特化することが役立っているような気がしています。
 
日本の商品化までの会議だと、潰される要素はたくさんありますもんね。
イヤホンについては昨日も書いたけれど、社会の良識から反しています。
「寝ながらイヤホンを使うなんてけしからん!」と社内の良識人に言われて潰されるでしょう。
電源タップも、「コンセントの口を全部使う必要なんてあるの?」なんて得意気に言う上役が想像できます。
こうやって企画が潰されながら、社長から「もっと斬新なアイデアはないのか!」と檄を飛ばされるのが、基本的な日本企業です。
 
昔のアップルのような製品開発も、日本だとできないものでした。
アルミ一枚からの削り出し、SF映画の要塞のようなMac Pro、ボタンなんかいらねーじゃんバリのiPhoneなどなど、偉業を上げていったらキリがありません。
技術があっても、狂気の沙汰と言えるような物質のこだわりを形にする工場と、アイデアを通す組織力。
この二つが揃わないと、マニアを刺激する製品は生まれません。
プラットフォームビジネスで顧客を囲い込んだり、ファン化を目指すのは構いませんが、ファンってマニアになることですから。
万人受けするような製品開発をしていたら、誰も欲しくない製品が生まれるんですよね。