Archive for 2019.6

ふざけた要素。

2019.6.25

何かを作るとき、「ふざけた要素って大事だよな」とつくづく思う。
ふざけた要素と言うと悪ノリが過ぎるのなら、「ユーモア」と言い換えてもいい。
漫画や映画に多くの人たちがお金を払っているのも、その中に、真面目な要素とふざけた要素が混ざっているからだ。
事実を基にした内容だとしても、どこかに脚色された内容が入らなければ、観客は飽きてしまうし、過酷すぎて見れなかったりもする。
真面目すぎるものはつまらない。
つまらないものに、人はお金を払わない。
ご立派な姿に、人はお金を払わない。
真面目なものを作りたければ、ふざけた要素を加えるといい。
もしも、ふざけかたが分からなければ、自分で自分をくすぐるといい。
自分の背中を見ようと、ぐるぐる回ってみるのもおすすめだ。
または、『クレヨンしんちゃん』のように、死体ごっこをするといい。
これをやりながら、他人に見せることを想像する。
すると、いつの頃からか、「これ以上は、他人に見せちゃマズイな」という線引きがわかる。
それが、作るときのふざける線引きだ。
ぼくはよく一人でやっている。

写真だけ。

2019.6.24

旅に行きたい。
 

才能があって丁寧な人と出会いたい。

2019.6.23

採用について考えていると、どんな人と働きたいか、ということだと気がつく。
ま、当たり前な話なんですがね、ただ、昔事務所に入ろうと思って、企業の採用募集なんかを見てみると「スーパーマンを雇おうとしてるのか?」という面の皮が厚い内容が並んでいたんです。
スーパーマンというのは言い過ぎにしても、「そんなに能力もあって、自分の適性が分かってて、やる気もあるんなら自分で会社なり、店舗なり始めるよね」という内容が並ぶ訳です。

そこでまた気がついたのです。
採用募集というのは、「どんな人に来て欲しいか」ではなく、「自分がどんな人と出会いたいか」なんじゃないかと。
そう思ってみたら簡単でした。

ぼくが出会いたいのは「才能があって、丁寧な人」です。
人から「あの人、才能があるよね」と言われるのは簡単です。
努力しまくればいいんです。
努力をして人に貢献できる力を持てば、十中八九、「その分野で才能がある」と言われるようになります。
才能=センスのように思われがちだけど、人から「才能がある」と評価されるのと、センスで勝負するのは別の話です。
まずは、努力をして、人から「〇〇の才能がある」と言われるようになること。
そこから、センスの勝負になります。
才能があって、丁寧な人に、勝負をする土俵を提供するのがぼくらの仕事。
そして、その才能はパンを焼くことでもいいし、掃除の才能でもいい。
どんなことでもいいから、才能があって丁寧なら、仕事を作るのはぼくの仕事だよなー、と思うのです。

写真だけ。縦位置。

2019.6.22

水の音が聞こえる。
 

紫陽花の多い町。

2019.6.21

そういえば、この町は綺麗な紫陽花が多いと気づいた。
妻の紫陽花好きに感謝だな。