Archive for 2019.5

見せてもいい喧嘩、見せちゃいけない喧嘩。

2019.5.6

お店でお昼ご飯を食べていると、お店の人同士が口論をし始めた。
カウンター越しの席に座っていたので、聞こうと思わなくても、口論の内容が聞こえてくる。
口論の内容はどうでもいいが、聞きたくもない口論が耳に入ってくるうちに、ひとつのことを思い出した。
 
「見せてもいい裏と、見せてはいけない裏がある」
 
ぼくは依頼人がSNSを使うときに、ひとつお願いをしている。
「うまい話やいい話だけでなく、失敗談や、言える範囲で構わないから、まだうまくいっていないけれど進めている話をしてください」
これは漫画の中で気が付いたことだ。
人は、優等生に心を動かされることはなく、単なる弱者を応援することもない。
漫画のヒーローは、弱いところを努力で克服し、ライバルと競い合い、困難に打ち勝つことで、読者の心を掴む。
ときには仲間と喧嘩をすることもあるが、喧嘩が終わった後に団結することは約束されている。
どんなに救いのない展開だったとしても、最後にハッピーエンドを作れなければ、たくさんの読者が応援するヒット作になるのは難しい。
 
口喧嘩に話を戻すと、昨日聞いていたような口喧嘩になると、終わりの気まずさだけが残ってしまう。
ということは、聞かれてもいい口喧嘩というのはあるのだろうか?
他人同士の口喧嘩は、終わりが予測できない。
だから、気まずさの終わりも予測できないから、それだけで不安はつづく。
これをギャップでいい印象で終わるためには、う〜ん、いまのぼくには思いつかない。
だから今のところのぼくの答えは、「お客さんには、身内の口喧嘩は見せちゃいけない」だ。
あのお店には、もう行かないだろうな。

付き添いという予定。

2019.5.5

土曜日は変な日だった。
うちの母から妻が譲り受けた婚約指輪のリメイクの打合せへ、メデルジュエリーさんに妻と一緒に行って、その後、妻の靴を買いに、ナオトさんへ行った。
過去にメデルジュエリーさん(恵比寿店)ではピアスを買い、ナオトさんでは革靴を買ったことがあるので、ぼくとしては慣れたものだ(なぜか得意気)。
浅草駅付近でカツ丼を食べて、歯を磨き、メデルさんに向かって、てくてく歩く。
打合せの後は、ナオトさんへ。
今度は浅草から蔵前へ、てくてく歩く。
休憩で川を眺めながらカフェラテを飲み、また、てくてく歩く。
メデルさんでもナオトさんでも、真剣な喜びを体中から溢れ出しながら、お店の人と話をする妻を横目に、外の景色を眺めたり、店内を物色したりする自分。
カレンダーに予定を入れていたが、当事者感ゼロの、完全に妻の付き添いだ。
けれど、つまらなくはなく、居心地のいい店内と日差しの中で、惚ける阿呆になれるのは、むしろおもしろかった。
付き添いという予定もあるんだと知った、令和のはじめての土曜日だった。

移籍と競合。

2019.5.4

サッカー選手の移籍の話が頭に浮かび、「あ、ぼくらの仕事と似ている」と思った。
サッカーに限らず、プロスポーツの世界では移籍の話はよくあることだと思うが、同じリーグ内で移籍をすれば、今までの仲間は敵になる。
ぼくらの仕事でいうところの分かりやすい敵は、競合他社になる。
昔のことは知らないが、今では、同じ業界のA社の仕事を引き受けながら、B社の仕事も引き受けている事務所はけっこうあるようだ。
ある事務所でこの現場を見たとき、唖然とし、現場を取り仕切っていた人を尋ねた記憶がある。
結局、その事務所との付き合いはそれきりだ。
A社もB社もC社もというように、競合を分け隔てなく受け持てば、その分稼げるし、秘密保持契約さえ守れば問題はないのだろう。
その業界についても詳しくなれるので、専門性も上がるメリットがある。
だが、ぼくはこのやり方に馴染めないので、A社の仕事を持っているときは、競合他社の仕事は断るようにしている。
これを一業種一社とか、一業態一社と言う。
お陰様で事務所勤務時代から、これを守ってこられているのが自分でも不思議だ。
運がいいと思う。
一業種一社、一業態一社にしても専門性を上げることはできるし、むしろ競合のことなど知らずに、他業種他業態について知る方が、クライアントはオリジナリティ(差別化)を高めやすくなる。
そんなことを、自然とやってこれていたんだなぁ、としみじみ思った。
やはり、運がいい。

呼吸のようなもの。

2019.5.3

結局は手書きなんだなぁ、と思いました。
絶賛GW中の間は仕事はしないと、なんとなしに決めてから、妻が仕事じゃないときは一緒に出かけて、一人でいるときはデッサンをしています。
「ん?デッサンをしているってことは、仕事じゃないの?」と疑問を持つ人もいるかもしれません。
なので、訂正します。
GW中は頼まれ仕事を進めない、が正しいですね。
ただ「デッサンが仕事か」と聞くのは、「呼吸は仕事か」と聞くのと一緒なんです。
アートもデザインも、ぼくにとっては呼吸と同じです。
意識しなくても手が動くものです。
脳が動くものです。
反射のように思考されるものです。
「呼吸がしにくいなぁ」と感じるように、悪いものに違和感を感じます。
「空気が美味しい」と感じるように、良いものに美しさを感じます。
そういう呼吸のようなもの、あなたにもあるでしょう。

ライフスタイルショップへの違和感。

2019.5.2

ふと思い出したことがある。

ザルを購入したときのことだ。
近所にあるカフェのポップアップストアで販売していたザルを気に入り購入。
「気に入った」ため、ザルを作っているブランドについて調べてみたら、都内に工房と販売所があり、購入したザルは千円以上高く購入していたことを知った。
損をした気がした。

ただこれだけのことなのだが、購入するときに、なぜ一瞬止まって調べなかったのか。
工房の雰囲気を感じ取って購入することもできたのに。
これを手間と捉えるか、経験と捉えるかで随分違うのだろう。
手間と捉えたらすぐに買えることに価値があるが、このときのぼくは「経験」と捉えたのだ。
だから、工房に行かないのに千円以上追加して払ったことに損を感じたのだ。

セレクトショップの本来のあり方を考えれば、いくらか価格を上乗せして販売するのは、至極真っ当な商売だろう。
しかし、この気持ちは初めてのものだった。
いま考えらるのは、都内の工房の商品を、都内の別の店舗で購入するから起きた現象だったのかもしれない。
それと、カフェのつくりも最近のライフスタイルショップの流れを汲んでいたため、購入に手間を惜しまない方が適切な買い方な気がするんだよな。
これは、ライフスタイルを売りにしている店やブランド全般に対して感じている違和感だ。