Archive for 2019.3

おふざけマン。

2019.3.22

マッサージを受けていて、ふと思った。
「約90分の間、目を閉じているだけでも、かなり回復するんじゃないか?」
マッサージ後のちょっとだるい感じからの回復時間が、なんだか無意味に思えてきたのがきっかけだ。
例えば、ベッドの上で、仰向けかうつ伏せになって、目を閉じればいい。
どうせなら、マッサージを受けていると想像すればいい。
学生の頃、料理番組や雑誌を見て、食べた気になっていたのと同じだ。
そこまで考えて、頭の中のもうひとりが、得意げに批判してきた。
「寝るだろ」
 
ここまで読んで気づいた人がいるかもしれないが、世の中の企画会議なんて、だいたいこうやって批判者が得意げになる。
ま、さっきの例はふざけすぎだけれども、新しい企画なんてものは、ふざけている要素がなければ「安い、早い、うまい」で終わりだ。
おもしろいものは、生真面目な人が紛糾するような、おふざけ要素がある。
ブーブークッションを、自分自身にしかけてごらん。
相手を笑かすってことがわかるから。

こういうのもありか。

2019.3.21

今月に入ってから、虫の居所が悪い。
意識し始めたのが先週あたりで、その兆候は今月はじめから出てきていたような気がする。
特に何かをしている訳ではないが、いくつか理由は思い当たる。
徐々に積もって層になった状態はなかなか厄介だ。
数年前なら、弁証法的に「裏返る」ってことがあったんだけど、これがいっこうに起きる気配がないので困っている。
 
書くことが重たくなってきたので、風呂に入ってから書き直している。
湯船に浸かりながら考えていたのは、普段イラついていることを考えなくしてしまうという戦法だ。
「元からなかった」としてみる。
そんなことはないんだが、こう思うと、幾分か楽になった。
 
思えば、人は考えすぎている。
頭が固くなってマッサージを受けて、また固くなってって、なんのサイクルやねんって。
「けっして真面目なわけじゃありません!」と謝ってみたい。

傷だらけで、汚らしく、手に入るもの。

2019.3.20

仕事柄、センスっていうことが話題になりがちなのもあって、この言葉について考えることは多い。
ここ一年ぐらいで思うのは、「センスってあるかもな」ということ。
センスは知識という説もあるし、昔は努力でなんとかなると僕も思っていたから、それも正しいだろう。
 
けれど、いわゆるセンスのない人を見ると、センスのある人との違いを感じるものだ。
センスのない人は、粘りが足りない。
知識も努力で手に入るが、粘りとはもっと泥臭く、もっと汚らしいものだ。
こうやって、さらっと文字にできるものではなく、他の人からしたら馬鹿らしく見える汚らしいものだ。
 
「直感が優れている」と言われる僕でさえ、365日、毎日働いている。
休もうと思って外出すれば、「ここのデザインが…」とか「この動線が…」とか「この写真の使い方は…」「色が…」などと言っている始末だ。
挙げ句の果てには、知らないおっさんの相談に乗っていたりもする。
ま、知らないおっさんは稀なケースですが、現在進行形の仕事のことを完全に休む、という日はない。
なにかしら考え、なにかしらこっそり作っていたりして、来たる日のために温存しておく。
 
そういう人のことを、最近は馬鹿にする傾向があるのは知っている。
毎日仕事をしてしまうというのは、他の人からしたら、馬鹿にされるような、手についた汗や泥を洗い落とすこともなく、傷も多い、汚ならしいことだ。
毎日心を痛め、イライラし、ちょっとだけ最高にイカした気分になって、翌日には暗澹たる気分になる。
自分が周りの人達と比べて、全然遊んでこなかったことに、三十代も後半になってようやく気づくことが多い。
仕事が遊び場だったと言えば聞こえがいいが、これしか知らなかった、いわゆる馬鹿だ。
そうして手に入るのが、あなたが望んでいる「センス」だとしたら、本当に欲しいか?
気づいたときにはもう遅い、手放すこともできない厄介な代物だ。

成果があれば、失敗も。

2019.3.19

久し振りに、手に豆ができた。
もしかしたら高校以来かもしれない。
当時と違うのは、今回は畑を耕していたということ。
けっこう広範囲にできてしまったが、豆ができると痛さ半分、勲章のような誇らしさ半分の気持ちになるのは、当時と変わらない。
 
畑を耕すのも、去年よりも慣れてきている。
習っていた期間も含めれば、3年目になる。
学生時代の部活と考えたら、集大成の年だ。
部活と違うのは、集大成と呼べるほど成長していないんじゃないかと思ってしまうところ。
 
今年もすでに「しまった」というところがある。
先日、ジャガイモを植えた畝(うね)の横に緑肥の種を撒いていたのだが、今日、隣の畝を耕す時に一緒に耕してしまった。
完全に忘れていた。
 
まだ芽が出ていないものは育つかもしれないが、ジャガイモが育った後に土を被せる中耕で、結局は緑肥の部分を削ることになるな。
新しい成果があれば、新しい失敗がある。
気長にやらなきゃ、できないな。

はじめから決まっている。

2019.3.18

仕事着や美術館への入館料が経費になることを知ると、これを羨ましがる人がいる。
しかし、裏を返せば、すべて自分の金で払うということだ。
ボールペン一本でも自分の金で払うということ。
総務に言えば補充してくれて、その金を会社が負担してくれる、ということはないのだ。
事業者は金にうるさいのは当たり前。
帳簿が合わなくなる上に、ボールペン一本分でも赤字になれば、赤字なのだ。
お陰様で、サンポノは今日もおいしいご飯が食べれてます。
 
独立後の仕事は全部、新規のお客様です。
独立前の仕事は、勤めていた事務所に残してきました。
これは、運がよかった、としか言えないです。
去年から頻繁に思うのが、努力というのは、運が入る器を大きくすることなんじゃないかと。
 
独立する人や、事業者になる人というのは、はじめから決まっているのではないだろうか。
雇われ店長や、子会社の社長も、従業員になる人も、はじめから決まっているような気がしている。
みんな、落ち着くところに、結局は落ち着く。