傷だらけで、汚らしく、手に入るもの。

2019.3.20ビジネスの健康, 日々のこと

仕事柄、センスっていうことが話題になりがちなのもあって、この言葉について考えることは多い。
ここ一年ぐらいで思うのは、「センスってあるかもな」ということ。
センスは知識という説もあるし、昔は努力でなんとかなると僕も思っていたから、それも正しいだろう。
 
けれど、いわゆるセンスのない人を見ると、センスのある人との違いを感じるものだ。
センスのない人は、粘りが足りない。
知識も努力で手に入るが、粘りとはもっと泥臭く、もっと汚らしいものだ。
こうやって、さらっと文字にできるものではなく、他の人からしたら馬鹿らしく見える汚らしいものだ。
 
「直感が優れている」と言われる僕でさえ、365日、毎日働いている。
休もうと思って外出すれば、「ここのデザインが…」とか「この動線が…」とか「この写真の使い方は…」「色が…」などと言っている始末だ。
挙げ句の果てには、知らないおっさんの相談に乗っていたりもする。
ま、知らないおっさんは稀なケースですが、現在進行形の仕事のことを完全に休む、という日はない。
なにかしら考え、なにかしらこっそり作っていたりして、来たる日のために温存しておく。
 
そういう人のことを、最近は馬鹿にする傾向があるのは知っている。
毎日仕事をしてしまうというのは、他の人からしたら、馬鹿にされるような、手についた汗や泥を洗い落とすこともなく、傷も多い、汚ならしいことだ。
毎日心を痛め、イライラし、ちょっとだけ最高にイカした気分になって、翌日には暗澹たる気分になる。
自分が周りの人達と比べて、全然遊んでこなかったことに、三十代も後半になってようやく気づくことが多い。
仕事が遊び場だったと言えば聞こえがいいが、これしか知らなかった、いわゆる馬鹿だ。
そうして手に入るのが、あなたが望んでいる「センス」だとしたら、本当に欲しいか?
気づいたときにはもう遅い、手放すこともできない厄介な代物だ。

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