Archive for 2019

いい疲労感。

2019.9.2

動画ブログを「Vlog」と言うことを知り、昨日も書いたけれど、一昨日からぼくも始めた。
始めた経緯は「ものづくりの楽しさを思い出すため」だったけれど、実際に動画制作を始めると、これがまた楽しいもんだ。
癖で「制作」なんて書いてしまったけれど、漢字の肩肘張るような感じじゃなくて、楽しいものづくりでいいじゃないか。
今の所、「どうが」でブログは、楽しい。
じゃあ、この文字のブログは楽しくないのか、と聞かれたら、「呼吸のようなもの」になっちゃったんだよなぁ。
これが、難しい。
クライアントワークも、アートワークも仕事だし、これらひっくるめてライフワークでライスワークにしちゃったものだから、楽しみの欠片があるような、ないような、やっぱりないようなものなんだ。
仕事だからといって「楽しんじゃいけないぞ」という意識が働いている訳でもないのに、ある種の想像がついちゃうんだ。
「この内容なら、このスケール感で、こうやって…」という具合に、仕事の頭になっちゃうんだ。
未知の発見をしようと、誰かと何かを始めようとしたけれど、話していると、段取りとか、何とかで、結局は仕事の頭になってしまっていた。
「そういうことじゃないんだよー、俺よー」という感じで、自分に喝を入れるようになっちゃったんだ。
今の所、「どうが」にはそれがなく、楽しんでやれてる。
毎日、いい疲労感を感じている。

ユーモアを育てた方がいい。

2019.9.1

「おもしろいって何だろうか」と考えることは多い。
24時間365日とは言わないまでも、控えめに言って1時間360日は考えているだろう。
いまの仕事の依頼のされ方を鑑みると、この蓄積による結果じゃないだろうかと思える。
「おもしろい」と人はお金を払いやすくなる。
これは企業同士でも、企業と個人の間でも、個人同士でもだ。
人にお金を払ってもらいたいだけなら、共感に驚きを加えたらいい。
おもしろいは、これも含まれるし、「なんかいい感じ」という、けっこう曖昧な機微も含まれている。
さらに、普通に笑うことや、大爆笑なんかも含まれる。
けれど、継続してお金を払ってもらうには、統一されたおもしろさが必要になる。
これがトーンになる。
MAD(狂っている)と言われるジャンルや、コメディ映画やギャグ漫画も、そのトーンを守っている。
ブランディングと言われていることは、これらの簡易版だ。
ちょっと意外かもしれないが、ブランディングでよく言われる「らしさ」や「差別化」は、おもしろさを発揮することの初歩だ。
最近、クリエイティブと言われるような企業がなくなってしまったのは、初歩的な部分で終わらせてしまうからなんだ。
ユーモアって、急に育つもんじゃないんだよなぁ。
毎日毎日、ちょっとでいいから考えて試すことが大事なんだ。
結婚の良い点をひとつあげるなら、妻という、ふざける相手がいるってことだ。

YouTube、はじめました。

2019.8.31

YouTubeをはじめました。
今更ユーチューバーになろうと思ったのではなく、「楽しさ」を思い出したかったからです。
今年の前半は、色々試していたけれど、誰かを頼って何かをすることには仕事の要素が絡んできてしまって、普通だったのです。
ちょっとずつ、このことに気づいてきて、大学で写真を始めた頃の、へたっぴなのにめちゃくちゃ楽しかったときと近い状態で作れるものを選んだら、動画だったということです。
10年ぶりに動画編集ソフトを触って、悪戦苦闘しながら、ものづくりの楽しさを味わえるだろうと。
「一人で楽しむのならYouTubeにアップする必要ないじゃん」と言われるでしょうが、制作物を保存するのにSNSはうってつけです。
なので、アップロードのタイミングは不定期です。
なるべく、毎週アップして、来年の今頃には52本になっていたら、週刊誌みたいで面白いな〜、と思っています。
チャンネル登録してくれたら嬉しいです。

YouTubeチャンネルはこちら。

クライアントワークで考えること。

2019.8.30

生活に困窮していない人が、いまの生活を続けるのに必要なことのひとつは、国益を向上させることだ。
しかし、日本の生産人口が減少することは明白なので、いまの生産性のまま人口が減少すれば、自ずと国益は下がり、社会福祉のレベルも低下する。
いま困窮している人は、言わずもがな生活はもっと困窮する。
生活のレベルを低下させないためには、国益を向上させることが不可欠なのだが、その場合、一人当たりの納税額も向上する。
納税がなければ、国は国民や国土をケアすることができない。
外国人労働者を低賃金で雇って、生産人口を増やしても、困窮者を増やすだけなので、何の改善にもならない。
結局は、労働生産性を高めるしかない。
労働生産性を高めるためには、高い品質のものを、高い価格(適正価格)で売ることが挙げられる。
時間がかかることで品質が高くなるものは、その分、費用が高くなることが適正価格だ。
しかし、生産人口の低下とともに、消費者人口も低下する日本では、マーケットの拡大は見込めないので、自ずと、輸出収益を狙わなければならない。
観光業におけるインバウンド収益は、輸出収益にあたる。
だから、観光立国を目指しているわけだが、低い生産性の考え方である「時短、便利、一括」をしているから、観光公害が起こる。
観光公害が起こり、その後、対策をしたヨーロッパの国に今年行けるのは、何かの縁なんだろう。
もちろん、観光業に限ったことではなく、輸出収益は日本の企業が考えなきゃいけないことだ。

知らないことをやってみるとおもしろい。

2019.8.29

やっぱり雨が多い夏だ。
いや、もう秋か。
そうやって書き始めたのには、「とりあえず何か書こう」という気持ちが働いたからだ。
いま、動画を撮りながら、ブログを書いている。
 
動画と動画をつなぐ場合、それぞれを別の角度にしないと、つなぎ目が不自然になる。
例えば、ネギと人参と肉を切る場合、それぞれの食材ごとで撮影カットの位置を変えないと、つなぎ目が不自然になる。
同じ角度の動画の一本撮りの場合は、フェード(あってる?)でつなげる。
そして、10分の動画には約50カットが必要で、1カットあたり12秒の計算になる。
これ、さっきやってみてわかったこと。
写真の撮影ではなかったことが、動画にはある。
こういうことがおもしろい。
 
動画を撮影してみようと思ったのは、たぶんだが、新しいことをしたいんだ。
そして、「楽しい」をしたいんだ。
幸か不幸か、ぼくはずっと仕事をしてきた。
性格なのかもしれないが、どんなに仕事から離れても、仕事脳から離れることはない。
でも、写真を始めたばかりの頃、写真にまつわることが全部楽しかったはずだ。
ぼくはそう記憶している。
ぼくの楽しいセンサーが、そうだったよ、と言っている。
そういうことを、再びしたいんだ。
 
そうじゃないと、ぼくの中の「楽しいセンサー」がなくなってしまうような気もしている。
いや、仕事にまつわるアレやコレは、全部やり尽くしたような感じがするんだ。
あとはこの応用や展開でしかないような、そういうレースのような気がしちゃっている。
だから、「楽しい」がどこかに残せるように、生きたいんだ。
そのひとつが、動画なのかもしれないってこと。
だから、とりあえずやってみる。