Archive for 2018.10

体は分かっている。

2018.10.26

「考えていること自体がナンセンスなんじゃないだろうか」
こう思うときって、ちょくちょくあります。
 
今月に入ってから寒い日が続きました。
するといつの間にか、室内でスリッパを履いています。
もちろん、夏のあいだ閉まっていたスリッパを、自分で取り出して、自分で履いているだけです。
 
「あぁ、足元が冷えるなぁ」と感じて、「スリッパをだそう」と思って、「スリッパを履いている」。
単純に、この三拍子が揃っているいるだけで、その後は、温度感覚で自然とスリッパを履いていたり、履いていなかったりします。
20度以上だから履かないとかはないんです。
冷えるなぁ、と思ったら履く。
 
人の行動って、単純にこういうものでもあるよなぁ、とつくづく思うと、最初の考えに至るのです。
考えることがそのまま偉いと思ったら、いかんぜよ。
 
そう思うときが、日常には潜んでいます。
長袖着てて暑いときは、腕をまくるとか。
それでも暑かったら、Tシャツになるとか。
体は分かっているんだよなぁ。

判断軸と現実がリンクする。

2018.10.25

仕事の流儀なんてかっこいい言葉が似合うかどうかはわからないですが、ぼくの場合は依頼人を決めるとき、「家族と思えるかどうか」という判断軸があります。
「笑って死ねる自信があるかどうか」が日々の判断軸とすれば、「家族と思えるかどうか」は依頼をしてくれる相手を決める判断軸となります。
そんななか、私事でめちゃくちゃ恐縮ですが、まぁ、今週末に両家顔合わせをするのです。
えぇ、結婚前の家族紹介です。
そこに来てくれた親族へのお土産として、「里山まるごとホテル」で使っているお米といしる(魚醤)を配るのです。
依頼人である山本さんは血の繋がりはないけれど、親族の場に一緒に関わってくれているというのは、感慨深いものがあるものです。
他の案件はまだまだ公表できる段階じゃないし、ラケットやペンケースを配るのもおかしな話なので、このような場で配れるものがあるということや、仕事の判断軸と現実の関係性がつながるのは、うれしいです。
 

追い討ちをかける必要はない。

2018.10.24

嫌なものを見ました。
「こういう人にはなりたくない」と思う文章を読みました。
人を傷つけた可能性が読み解けるのにそこには触れず、人から言われたら嫌だろうと思う内容を、追い討ちのように書いた文章。
それが分からない歳でもないでしょう。
「老人になってまで、こういうことしか書けないのか」と思い、嫌悪を含んだ悲しみを感じてしまいました。
しかも、雑誌の編集長でしょうに。
 
ベンチャー企業が強い言葉を好むように、凝り固まった人も強い言葉を使います。
弱い言葉、丁寧な言葉を使う方が、内容も豊かさに溢れます。
本当に影響力を持ちたいのなら、やさしさは不可欠です。

物忘れとあなご飯。

2018.10.23

なぜ人は物忘れをするのだろう。
人はというか、ぼくはだ。
昨夜、ブログを書いていないので、お風呂に入りながらネタを考えて、お風呂から上がったら書こうと思っていた。
それが、お風呂上がりのストレッチ最中に恋人が帰ってきて、会話をしたら、ブログのことはすっかり忘れてしまった。
ストレッチが終わったら、そのままベッドに入り『アドベンチャータイム』と『孤独のグルメ』を見始めた。
その後、トイレに行き、電気を消したところで、「あ、ブログ書くの忘れてた」と思い出したが、「忘れてたぁ、むにゃむにゃ」と眠りについた。
まぁ、呆れるくらい呑気だ。
この程度の呑気さが残っているから、これでいいのかなとも思います。
そういえば、一週間前のこととか思い出せないし。
去年広島で食べた「あなご飯」のことは思い出せます。

報酬の仕組み。

2018.10.22

仕事の報酬について考えることは頻繁にあります。
ぼくらの仕事というのは、知られているようで知られていない部分が多いです。
そのため、金額を提示すると「思っていたよりも高い」と思われたり、「何にこんなにかかるのか」と言われることもあります。
まぁ、言われなくても相見積もりを取られたり。
 
何にかかっているか話して金額に納得してもらったとしても、「思っていたよりも高い」とはじめに思った過去はなくなりません。
そして、こういうやりとりを何年も経験していて、気がついたことがあります。
「思っていたよりも高い」というのは「知らないだけ」だったということ。
 
ただ一方で、依頼人の事業規模によって、一度に支払える金額は違うのも事実です。
ぼくらだって家や車を買うときに、ローンを組む人もいれば、一括払いで購入する人もいるでしょう。
利子のことを置いておけば、総体的に同じ金額を払えば同じ価値が手に入る。
 
クリエイティブ仕事への報酬の支払いについても、こういうことが出来ないかと、ぼくは頻繁に考えています。
だから報酬の支払い方法は、依頼人が支払えるような仕組みさえも、毎回考えています。
ひとつひとつ試しては、失敗とうまくいったことの繰り返しですが、ぼくと依頼人とで信頼関係がないと成り立たないです。
ぼくを騙そうと思えば、いくらでも騙せますし。
それは相手にしても同じです。
だから、報酬のことを考えるのも、信任があってこそなのです。