Archive for 2018.8

ブランディング詐欺に気をつけて。

2018.8.6

ブランド価値を向上すれば事業のすべてがうまくいくような話を耳にすると、同じ業界にいる者として憤りを感じます。
そんな簡単な話は、いわゆる詐欺と同じです。
事業がつくりだす製品やサービスの品質が悪いのに、ブランド価値を高めて消費行動につなげるのは、詐欺の仕組みと変わりません。
 
ブランディングが効果的に機能するのは、製品やサービスの品質は高いのに、品質の良さが伝わらずに、安く粗悪なモノのように見えたり、購入する価値がないと思われる場合です。
購入する価値は、選ぶ価値と広く言った方が適切でしょう。
 
老舗割烹料理のお店であれば、他の老舗と何が違うのか。
価格が高い理由に生活者が納得しなければ、選ぶ価値を提供できたとは言えません。
ましてや、生活者の欲求に迎合しただけの身売りなんて事業の投資ではなく、予算をドブに捨てるようなものです。
 
老舗が続けてきて、これからも残す価値のあるもの(アイデンティティ)は何なのか。
まずはこのアイデンティティを見つけ、その後に、いまを生きる生活者が「価値」と感じることと適切につなげていくのです。
これを少なくとも2~3年は続けていくことで、はじめてブランド価値は上がっていくのに、提供するモノが大量生産、大量消費の代物だったり、たった数ヶ月から1年程度でブランド価値を高めようというのは甚だ間違っているのです。
 
また、これと同じことで、事業の数々の問題が、ブランディングひとつで解決できるとうそぶく同業者がいるというのも、いまの日本の問題なのです。
品質と伝え方と売り方、これらすべてが事業には大事で、これらの源はヒトなのです。
ヒトに投資できなければ、何もはじまらないのです。
ブランド価値というのは、何年もつづけて、ようやく滲み出てくる湧き水のようなものなのです。
どれだけ同業から睨まれようとも、どれだけ依頼人から口うるさい奴と思われようとも、私たちは真実を伝えるべきです。

初七日から明けて。

2018.8.5

初七日も過ぎました。
父には申し訳ないけれど、その日はあまりお祈りをしていません。
「あまり」じゃないな、していないです。
 
翌日の土曜日、毎月恒例の根津神社へのお参りで、お祈りをしました。
「特別なことをしないでごめんね」と言いつつ、午前中の神社はいつもよりも空いていて、ゆっくりとお参りができました。
 
亡くなったヒトと話す、というのはあります。
高校入学のときに、中学時代の友人が亡くなってからは、彼ともよく話します。
霊感とか、あの世との交信とかじゃなくてね、野暮な言い方をすると、想像を巡らすのです。
 
でも、この想像の中の亡くなったヒトたちは、ちゃんと話せるんですよね。
漫画家がよく話している、「キャラが勝手に動く」というような。
ぼくは漫画家じゃないので、これと近いのかはわかりませんが、思い出とも違い、雄弁に話す姿は、面白いものです。
 
こういうこと話すと「変な奴」と思われることも、知っていますよ。

育ち、育てる。

2018.8.4

最近、よく思っていることのひとつに「ヒトを育てるのって難しい」ということがあります。
いやね、とても当たり前なことなんですがね、親が子どもを育てるのはもちろんのこと、組織なんかもすこぶる大変だよなと。
 
丁稚、弟子、アシスタント、部下、後輩、、、呼び方だけでもさまざまです。
これらは「育てるヒト」との関係性も、ちょっとずつ違うわけです。
しかも、関係性で許される範囲も、時代によってちょっとずつ変わってきています。
 
こんななか、丁稚で育ったヒトが、部下を育てるなんてことも現代では生まれているでしょう。
ぼくも若輩者ながら何人かを直接育ててきたし、後輩は増えるばかりです。
 
その度に、「ヒトを育てるのって難しい」と考えてきたのですが、いまね、外の会社のヒトたちを育てるてことを、いろいろな場所でやっているのです。
 
元々、依頼人にはクリエイティブのノウハウを伝えながら仕事を進めるスタイルでしたが、これは依頼人の判断能力を高めてもらうためにやっていることです。
デザイナーとして一人前に育てたり、デザイン部として機能させるなんてことと、判断力だけを育てることとは、ヒトの中の育てる部分が異なります。
 
しかも、預かっている身としては、どこまで厳しくしていいものか。
丁稚とも、弟子とも、アシスタントとも、部下とも、後輩とも違う。
依頼人とも違う。
 
なんとも不思議な関係を経験させてもらっているなぁ、と呑気に思いつつ、いつもこの難しさを感じています。
(考えてみると、家庭教師に近いのかもしれないと思ったけれど、講義をしているのとも違うんだよなぁ)

デザインは感性ではない。

2018.8.3

これまで「デザインは感性ではない」と何度も話してきました。
「クリエイティブは感性ではない」も同じです。
幾度となく、依頼人の前で話してきましたし、色々なところで公表もしています。
それは、私以外の歴史上の人物達も同じことを伝えてきたし、現役でご活躍されている大御所たちも伝えています。
 
それでも、「デザインは感性」だと疑ったことすらないヒトが多い。
打合せの現場で「気になる」「気にならない」という言葉が使われているのが、顕著な例です。
この言葉がまかり通るのなら、個人の感性で意思決定がされるということです。
 
仮に製品を購入する消費者であっても、「気になるから製品のここを変えてくれ」と製品を販売しているメーカーに言ったとしても、たった一人の意見であれば、採用されないでしょう。
声の数が大きくても、長い目で見て「変えてはならない」と判断できるヒトが決定権を持っていたら、採用しないかもしれません。
幸いにも、いままで関わってきた企業の方々は、このような視点を持てるヒトたちでした。
だから、世界中から信頼されるブランドを築けたり、新興企業でも中枢に影響力を持つことができたのだと思います。
 
少々脱線しますが、個人の感性で他人の仕事に影響を及ぼすためには、そのヒトを所有しなければなりません。
法人の場合は筆頭株主になれば、ある程度は可能でしょうが、デザインの専門家であるデザイナーは人間なので、所有することはできません。
(雇用契約を結んだとしても、契約関係である限り、会社と従業員の関係は、本来の意味では外部関係になります)
 
もしも、「気になる」「気にならない」という言葉が平気で飛び交い、個人の感性で押し通せる現場なら、デザインは効果的に機能していないということです。
いままでは、依頼人たちに、デザインが効果的に機能するためのノウハウを伝えながら、実際の制作物を提供してきましたが、病気の身体を治す気のない患者に対して医者が断りを入れるような対応も、今後は増やした方がいいのかもしれないと思いました。

情けない話。

2018.8.2

今日は情けない話をします。
そんな言い訳がましい前置きをしつつ、さすがに疲労が溜まっているようです。
 
心労なのか、身体の疲れなのか、はたまたその両方なのか。
お葬式はしめっぽくならずに終わらすことができた、と思っていたけれど、やっぱり、どこかで「ある」んですね。
特定の言葉で言い表すことは難しいけれど、ちゃんと心の実体があります。
ちょっとした重みのある、でも、ぽかぁっと空いたような実体です。
 
こういうのも含まれるし、直後から仕事だったので、まぁ、単純に休んでいないんですけどね。
身体のあちこちの鈍い痛みと、頭が熱く膨張している感じ、首の付け根あたりの鈍い痛み、、、あ、いま鈍い痛みを二回言いましたね。
なるほど、倦怠感とは違う、鈍い痛みを感じているけれど、頭はオーバーヒート気味ということか。
 
タイミングをみて休まないといけませんね。
やっぱり、ぼくも生き物ですから。
週末は休むつもりだぞ。