Archive for 2018.7

図書館という不思議じま。

2018.7.6

図書館というのは不思議な島だと、つくづく感じます。
外界の音は聞こえず、中は静か。
この中にある本棚と本棚の間を、おっちゃんが屁をこきながら、歩いていたり。
周囲を気にするそぶりもなく、一定のペースで歩きながら、屁をプッ、プッ、プッ。
通路を渡って、おまけで、プッ。
 
屁が鳴っている間、周りのヒトたちは、自分のことに集中。
屁をこいていないおっちゃんも、子どもを連れているお母さんも、スカして雑誌を読んでいる青年も、みんな自分のことに集中している。
「他のヤツの屁ごときで、俺の心は乱されないぜ」という一糸乱れぬ姿にすら見える。
自分の内なる世界と対峙する、武士のような集中力だ。
(武士知らないけど)
 
いや、内心は乱れまくっているが、周囲に悟られないように、取り繕っているのかもしれない。
そうだとしたら、なんというポーカーフェイスか。
何にも役は揃っていないのに、勝負に挑むギャンブラーじゃないか。
 
一発目の屁から、視線をおっちゃんに向けてしまった俺は、なんという小心者か。
集中力が足りなすぎる。
座禅の時間だったら、すぐに棒で叩かれていただろう。
 
いやはや、図書館島の住人たちよ、屁をこく方も、こかれる方も、大したもんだよ。
こういう世界を見ていると、会議や打合せで話される内容が、ずいぶん偏った世界だと痛感します。
悪く言うと、学術論文に到底及ばない、自分都合の陳腐なデータを集めた机上の空論。
だから、仕事のことを考えるとき、ぼくは図書館で論文や本を読んだり、外の世界を見るんです。
図書館以外にも色々とね。

専門家への依頼。

2018.7.5

ぼく自身も依頼者になることが多い中、専門家に依頼する場合、次のどちらかしかないような気がしています。
 
専門家の意見に「従う」か「従わない」か。
 
専門家に意見をして、議論をするのは「従わない」ということ。
専門家に質問をするのはどちらでもない。
下手な質問は、意見となるので「従わない」ことを暗に示す。
上手い質問は、専門家に信任の実感を抱かせる。
 
医者と患者の関係性でみれば、よくわかります。
医者の処方通りに薬を服用するか、用法・用量を守らずに服用するのか。
用法・用量を守らない患者に何かがあっても、医者は免責されるでしょう。
 
デザインなんて仕事をしていると、議論に持込もうとする依頼人がたびたび現れます。
専門家との打合せは、診察時間だと思った方がいいです。
課題という病気がなければ、専門家という医師と、会う必要もないでしょう。
 
課題になっていることを素直に話し、目の前にいる専門家を信じて任せるのか、それとも、信じないのか。
信じないのなら、別の専門家にかかった方がいいでしょう。
セカンドオピニオンを求めた時点で、最初の医師との関係性は破綻しています。
 
もしも、信じた相手が、技術も知識も低く、職業倫理さえ低いのなら、あなたの審美眼を鍛えていくしかないです。
どこかのタレントのようですが、専門家の処方を信じるか、信じないかは、あなた次第なんです。

たまたま売れるだけ。

2018.7.4

「にゃあ」と言うだけのモノを、つくりたくなってきた。
この十数年、意味のあるモノばかりをつくってきたせいか、無性に、意味のないモノをつくりたくなってきた。
昔、爆弾が爆発するアプリがあったが、それよりも意味がない方がいい。
「にゃあ」と言うだけだ。 
可愛いくもないが、可愛いかもしれない程度のイラストがあったら最高だ。
 
しかし、いかんせん、これで稼ぐ方法が見つからない。
セックス、お金、健康のどれかに、ヒトは無条件にお金を払う。
どれにも当てはまらない以上、稼ぐ方法を考えなきゃいけないようだが、「意味ないねー」と言われるモノに、ヒトがお金を払うことなんてあるのだろうか。
 
実は、今回の話のはじまりは、こういうところが出発点になっている。
「意味ないねー」と言われるモノにお金を払うのか?
「いや、ないだろう」と思うのだが、これがいくらかでも稼げたら、何でも稼げる気がするんだよね。
 
というのも、世の中に溢れているモノに意味があるかと問われたら、それほどの意味があるわけでもない。
元も子もない話ですが、その製品がなくなったら、別の製品を使うだけでしょう。
それにも関わらず、打合せや会議では、自分たちの製品がとても意味があって、大義があるように話されるわけです。
 
でも、「たまたま売れる」っていうこともありますからね。
もちろん、そこには「たまたま売れない」っていうこともあるわけですが、何かと理由をつけたがるのが、ヒトってもんです。
そんで、理由をつける理由が、打合せや会議で話すため、承認を得るためだけだったりするんですよね。
考えるのは必要なことだけれども、意味を大義にする必要はないのです。
 
「にゃあ」と言うだけのモノ、作りたいなー。
アプリなら「GIFアニメで動かして『にゃあ』と音を出す」、それだけでいいかもしれない。
もしかしたら、ヒトが「にゃあ」と言っている方が、おもろいかもな。

テンボウデッキ。

2018.7.3

恋人から誕生日にしたいことを聞かれたので、東京スカイツリーに初めて行ってきました。
観光名所なんだろうと思ってはいたけれど、行ってみると、海外のヒトの多いこと。
北は北海道、南は沖縄を、かるーく超えてますね。
スタッフも通訳しまくりなわけで、エレベーターに乗る前の説明などは、海外のヒトと一緒に英語を聞くことになります。
 
そこで発見。
展望台の翻訳って「テンボウデッキ」なんです。
急に日本語が混じるから、こちらもカタカナ英語のように思っちゃったよ。
 
ということは、海外には展望台がないのか?
いや、テレビ番組で、タレントが高層ビルの展望台に行ってたような。
調べてみると、いくつか英訳があることを知りました。
「なんだ英訳あるじゃーん」と思う一方、スタッフの話した「テンボウデッキ」が、耳に残っています。
しかも、悪い気はしてないのです。
 
カタカナ英語のように聞こえた、テンボウデッキ。
「テンボウ」は日本語だし、「デッキ」も日本語になっているから、完全な日本語です。
英語だと思って聞いていたら、完全に日本語話しているじゃん。
もしかしたら、新たな言葉が生まれる瞬間に、立ち会ったのかもしれませんねー。
 

煩悩を 消してくれる 書き心地

2018.7.2

煩悩を 消してくれる 書き心地
 
万年筆を正しく持って、文字を書いた心境です。
店頭で試し書きをしたときには、それほど感じなかったけれど、家に帰って、椅子に座っていつものように文字を書いたら、なんと書きやすいことか。
 
実は書き始める前、ぼくは少しイライラしていました。
ちょっとしたことが重なってしまい、鬱屈した状態だったのです。
それでも目の前には、せっかく買った万年筆が、箱の中で眠っている。
 
36歳で初めて手に入れた万年筆。
恋人から欲しいものを聞かれ、タイミングよく、パイロットさんの「キャップレス万年筆」の存在を耳にしたのが、ことのはじまり。
ペン先の太さが何種類もあることを知り、誕生日プレゼントで貰うからと、二度も店頭で試し書きをした万年筆。
試し書きをした紙を家に持ち帰って、太さを迷いに迷って決めた万年筆。
  
ようやく手に入れた万年筆を目の前に、何も書かないで一日を終えたら、鬱屈した気持ちがさらに深くなってしまう。
だから、ネガティブな気持ちで書き始めたのです。
 
そうしたら、「あれ? あれれ?」って、書くのが気持ちいいじゃないですか。
今までのイライラはどこへやら。
 
書き心地のなめらかさによって、鬱屈した気持ちがスーっと、消えていくのです。
書いてるのに、消えていく。
書くと消える。
不思議な心地です。
 
もしも、ヒトに渡す手紙を万年筆で書いたら、下心はなくなっちゃうかもしれませんね。
ストレス解消に、万年筆。
いまのところ、ぼくにはありですねー。