Archive for 2018

仕事をおもろくする方法。

2018.12.11

電車で揺られること一時間。
直接は関係ないけれど、仕事でスイーツを食べに行きました。
こういうとき、人から「色んなところに行けていいですねー」と言われて、「仕事なんで大変ですよ」という問答が普通でしょうが、ぼくは「おもろいっすねー」と言います。
 
「直接は関係ない」ってところが味噌かもしれません。
ちょっとでも関係があれば、出来うる限り行ったり、体験します。
そうやって自分ごとにしていった方が、仕事はおもろいっすからね。
(経費はすごいっす)
 
昔、フライパンのロゴを作るときも、商品が置かれる首都圏の量販店を周っていました。
会社の中では「江口が帰ってこない」と言われていたそうです。
ラケットのデザインをしていたときは、ラケットショップはもちろん、大会に足を運んだり、自分でもやってみたり。
挙げ句の果てには、ラケットの気持ちになろうと、ラケットに搭載されたテクノロジーの動きを自分でやってみたり。
その姿を見た当時の同僚は、唖然としてました。
自分でも、阿呆だと思います。
 
けれど、阿呆になった方が、おもろいのです。
そして、昔は「仕事なんだから当然でしょ」と本気で思っていましたが、その理由は違うことに気がつきました。
 
仕事をおもろくするために、面倒くささを乗り越えてやっているのです。
年々、体も動かなくなってきて、ようやく分かりました。
俺は、仕事をおもろくする方法を知っていたんだ、って。

その人の歩んできたすべてが乗っかるもの。

2018.12.10

実写版の『3月のライオン』を観ました。
それで気づいたことがありました。
「将棋はなくならない」
ぼくに言われるまでもないことでしょうが、ぼくの中で腑に落ちたことだったのです。
 
AIが育つことで将棋のような頭脳戦がなくなるかと言ったら、そんなことはないだろうと感じていました。
でも、「あぁ、そうか」と、なくならないことを実感したのです。
将棋だけではありません。
己のすべてが乗っかるものはなくならない、こういうことなのだ。
 
野球やサッカーの判定にAIを取り入れることに警鐘を鳴らす選手も、もしかしたら、こういうことと近いのかもしれません。
昨日のQueenのライブの話もそうです。
「その人の歩んできたすべてが乗っかるもの」、こういう姿にぼくたちは心を動かされ、お金を払いたくなります。
事業において、ぼくがABテストや多数決を避けるのは、決を取った人のこれまでのすべてが乗らないからだったのかもしれません。
 
「どんなものにも100%の正解なんてない」
『3月のライオン』の劇中でも言っていましたっけ。
依頼人を叱るときに、ぼくも言っているので、ハッとしました。
事業だって同じさ。
 
古臭い言い方だけど、人の血が通ったものに、人は心を動かされるんだ。
いま、自分の限界を超えようとしている最中だったので、とても励まされました。

続けるしかないんだ。

2018.12.9

『ボヘミアン・ラプソディ』を観てから、すっかりQueenの映像にハマっています。
観客と一体になる姿、前作を超える姿、崩壊から再生する姿、どれも羨ましくなります。
ぼくは音楽をやりませんし、歌だってうまくはありません。
体で表現できることがないのは、悔しいのです。
写真を撮れる、絵を描ける、デザインができる、そんな風に競う気持ちもありません。
それでも悔しいというのは不思議です。
 
かっこいいなぁ、っていう悔しさなんです。
おそらく、いろんな人が、いろんな人に対して抱く気持ちと一緒です。
美味しい料理をつくれるとか、誰かを演じるのがうまいとか、サッカーがうまいとか、そういうのに憧れるのと同じです。
圧倒的な姿に、ぼくは憧れます。
 
そして、ふと気がつきました。
圧倒的な姿を見せるには、続けるしかないんだと。
Queenのライブも、年数を重ねた姿の方が、心を鷲掴みにされます。
ずうっと好きなBlankey Jet Cityのライブも、ラストライブが一番好きです。
イチロー選手のことも、年を重ねるごとに、すげぇって思う幅が広がっています。
 
それってなんだろうと考えます。 
一般的に年を重ねると、できなくなることが増えるような気がするものです。
少なくとも、賢さは増すけれど、「動く」だとか「魂を燃やす」といったことは減ったり、得意じゃなくなるような気がするのではないでしょうか。
だから、その常識を超える人たちと出会うと、たまらなく魅了されてしまう。
 
魅了されながらも、「人生の終わり」には近づいていることもわかっています。
そこがまた、悲しみも交えた「終わらないで」という気持ちになって、また一段と魅了される。
夏休みの夕焼けのような、そんな寂しさが混じりながら、魂が燃えているんです。
ぼくも続けないとな、と思わされます。

本質はつまらない。

2018.12.8

自分の新しい引き出しが開いた瞬間は、いつも興奮します。
毎回、新しい仕事においては、そうなるようにしているのですが、開く前はかなり苦しいです。
「生みの苦しみ」というやつです。
もうね、頭はぼさぼさで、髭もじゃで、ヘルペスまで出てきちゃっていましたよ。
 
パターンなんて、本当にないのです。
あるのは本質だけ。
けれど、純度100%のものなんて、実は価値がないのです。
カカオ100%のチョコは、苦いカカオですし。
ぼくは野菜を育てていますが、土がついたままの生野菜ばかりを食べさせられたら、誰だって嫌でしょう。
原石を磨いて宝石になるように、依頼人の事業の本質を掴んだら、磨いて伝わる価値になります。
 
しかーっし、事業の本質というのは、人や社会の基本から外れないので、どの事業も似通ってくるものです。
なので、事業をやっている、ほとんどの企業は、人からどうでもよく思われます。
存在すら知らない企業の方が多いでしょう。
事業というのは、ほんのちょっと違った「おもろい部分」を、磨いて、磨いて、磨きまくって、ようやく人から価値を持たれます。
 
そして、磨くにも、技術や努力が必要です。
これが生みの苦しみになります。
だいたい外れない似通っている部分に焦点をあてれば、パターンでできます。
けれど、ほんのちょっと違う、おもろい部分に焦点をあてるから、毎回違う引き出しを開けなきゃならないのです。
これが、ぼくらの仕事の「おもろい」ところ。
 
今回も、ようやく楽しくなってきたところです。
ふふふ、来年かなー。
頭は破裂しそうですけどねー。

オトナ野菜。

2018.12.7

「キャッチボールをするような」のための文章を昼間に書いていて、さっき見直したら、ひどくつまらない印象を受けたので、ボツにしました。
つまらなく感じた理由を考えてみたら、業務について書いていたんです。
「お前の業務なんて、知ったこっちゃねーよ」ですよねー。
しかも、自分のことだから、大変そうに書いていて。
「好きでやってることでしょーが!」って怒りたくなるような文章でした。
はい、すみません。
 

それはそうと、最近「オトナ野菜」について考えています。
あれ?知りません?「オトナ野菜」。
 
野菜を育てていると、違う野菜同士が交わるときがあるのです。
白菜と大根とか。
ちなみに今回は、小松菜と大根でした。
もうね、小松菜の根っこが太くて、大根のにおいがするんです。
葉っぱは小松菜、根っこは大根。
 
本来、交わった野菜は交雑といって、価値は下がっちゃうんですけどね、なんか愛くるしいというか、「お前も、ようやく女を知ったか」という気持ちも芽生えたので、「オトナ野菜」と命名しました。
オトナ野菜、おいしいんだぜ。