Archive for 2014.4

強い人間

2014.4.6

デヴィット・フィンチャー監督作「ファイトクラブ」を、久し振りに観た。たしか、初見は高校生の頃であり、「二重人格の話か」と思っていた。しかし、最近気になったので再び見みると、今の日本を風刺しながら、個人の肉体へと還っていく欲望を、的確に描いている映画だった。
 
ライフスタイルを謳って物を買わせる大企業、それを知りながらも遅れを取らないために買う消費者。口論や激励はしても、拳の痛みを伴う喧嘩をしない人々。そして言う——「お前は物に支配されている。」
 
その後、生活の空虚さを埋めてくれる場所を提供してくれる主人公達に、人々は追従していく。仲間が一人死んでルールが増えていく様は宗教のようだが、それでも、それぞれが単独で動いていく組織は強い。
 
こういう組織を作りたいのか、それとも、物に支配されない生き方を選ぶだけにとどまるのか。ただ、ルールがありながらも単独で動ける組織は、別のことで使えれば、とても有益だ。

機械音を消していく

2014.4.5

すべての音という音がうるさすぎて、PC以外の電源をおとした。「PCってこんなに音がするんだ」と気付くほどの静かさになる。外の音も聞こえるし、自分の呼吸音さえ聞こえてくる。お茶を飲む音、タイピングの音、鼻をすする音——人間が発生させる日常の音は、機械の音よりも微弱だが、それだけであれば、十分なボリュームになる。
 
たまには、エアコンも空気清浄機も、TVもなしが素晴らしい。

ありたい姿

2014.4.4

自分がどんな人間か、ということを度々考えます。どう思われているか、という他人目線はどうでもいいのですが、「自分がどうありたいのか」ということは、よく気になります。自分の言動にぎこちなさが生まれているときは、必ずといって良いほど、気持ちのどこかに無理が生じているのです。そこを解消するのに、一番手っ取り早いのが、「ありたい自分の姿」を想像することでした。そして、5分後死ぬと想像すると、理想的な自分に近づきたくなるのです。

気持ちの問題

2014.4.2

良いものが出来る予感がすると、わくわくしたり、興奮します。それは、良いものが出来た瞬間もそうですが、予感よりももっと手間の、良いものが出来るかもしれない匂いを察知しても、わくわくしたり、興奮するものです。
 
恐さもありますが、わくわくの方が勝っちゃうんだよな〜。