Archive for 2013.9

成長の秘訣

2013.9.13

生きている実感は、人によって違うでしょう。僕は「作っているとき」です。自然の中では、「今、殺してくれという感覚」が混ざります。「もっと、いける」「もっと、いいものが作れる」「もっと、成長できる」というような欲望が勝るのは、作っているときだけです。
 
だから、僕から「作ること」を奪うのは「死ね」と言っているようなものなので、僕が修正し、成長できるのも自己否定ができるからです。当初やろうとしていたことからマイナスにならない限りは、僕は修正を受け入れます。根底から離れてしまえば、感動が少ないものしか生まれません。けれども、変化を恐れていては成長は難しいです。変化するってことは、以前の自分を「ちょっと違ったかも」と思うことになります。それが、自己否定。
 
だからね、生きている実感を「作っているとき」以外にも感じるためには、何かしらの変化をつけるしかないんだよな〜。子ども育てるとか。

判断

2013.9.12

将来つくりたい社会だとか、展望だとかを考えて、今は動いている最中ですが、そうだといっても「生き切った感」があるのは確かです。だからこそ、何かに寄らずに、心酔せずに、メリットとデメリットを判断することができるのでしょう。

感情論です。

2013.9.10

「愛」が足りなくなっていると、感じています。それは、丹田に力がなくなっていることとも通じています。そういう微妙な「エネルギー切れ」が大事に至らなければいいのですが、どこかで、人に甘えるというのも必要かもしれませんね~。お金を払わずに美味しいものを食べたり、仕事を抜きにして笑顔になれる会話をしたりとかね。

どこでも自然

2013.9.10

自然の中に入ってお酒を嗜むことで、人間っていうことを体で思い出します。けれども、それも叶わないような時間の場合は、瞑想をします。手のひらを見てから目をつぶり、1つ1つの体の感覚を確かめていきます。これほど身近にある自然物もないでしょう。「いつ死ぬかわからない」「たった1つのもの」など、誰にとっても当り前なことを忘れては、機械に近づくだけで、機械にも勝てない粗悪品になるだけなのは明白です。僕は人間です、これを読んでいるあなたもそうでしょう。

感情論で決める

2013.9.8

渡すのであれば、喜ばれるものがいい。たとえ見ず知らずの他人だとしても。
 
知らない相手に渡すのだから、一般的な要素で攻めるのか、僕の特徴を際立たせて攻めるのか――迷うが、内容を後者にして、見た目を前者に出来るのであればPRとして良いだろう。
 
あまり過去のことを尋ねられても、今の気持ちと異なるし、渡されたものが良ければ、HPに来るだろうから、そこでトータルの考え方に触れることができる。
 
そうであれば、広げる見せ方がいいのか、めくる見せ方の方がいいのか――僕だったら、広げた方が感動する。めくるのであればカタログ風にするし、広げるのであれば、、、やっぱりカタログ風だな。
 

 
そんなことを考えながら、アメリカでの配布物を作り始めました。昨日のラフでは、既にポスターサイズ(広げてみせる方)でしか考えておらず、3パターンは検証するでしょう。
 
こうやって進めていると、理詰めのように見えるでしょうが、根底にあるのは「僕が感動できるかどうか」です。つまり、感情論で最後は決めているんです。とても大切なことです。それが、他人に信用される理由にもなっているでしょうし、今まで続けてこられた理由になっていると思えます。