Archive for 2013.8

昨日のつづき

2013.8.10

昨日、「意志の問題」というところで終ったのですが、これはなかなか難しいです。何が難しいかというと、人によって尺度が違うからです。「1mm」や「あんぱん」などのように具体性があるわけでもなく、しかも、数値にしずらいのです。たとえ、10段階で評価分けをしても、実は、その評価分けが絶対的な数値かというと、そうでもないです。
 
なので、「意志の問題」といっても、ある人にとっては最大限の意志を発揮したとしても、別の人にとっては鼻くそ程度のものかもしれないのです。
 
これを説教の時に持ち出したらエラいことになっちゃうでしょう。
 
いわゆる「何で怒られているのかわからない」状況になるってことです。そこに気が付かないと、怒る方も怒られる方も双方で損をしているでしょう。怒る方は、嫌われながら疲れるだけで、怒られる方も呆れられながら、キツいことを言われ続けることになるからです。
 
つまり、具体的な話なのか、抽象的な話なのかを把握しないで会話をすると、無駄な時間を使いがちになるってことです。

意志の問題

2013.8.10

写真の色見本を何種類も作っては、本番プリントをします。このやり口、「技術が上がれば、数も減るだろう」と思っていたら、真逆でした。出来ることが増え、感じ方が増えるとついつい試してみたくなるものです。
 
ですが、「目が肥える」とは言いたくはありません。歳を重ねたら、徒に目が肥えるわけではないからです。考えてプリントした結果、目が肥えてくるのであって、数だけをこなせばいいってもんでもないです。
 
だから、目が肥えるというのは、意志の問題ってことです。

錯覚かもね

2013.8.9

愛情なのか、人の体温なのか、肉欲なのかーーこの見極めは大変だけど、めちゃめちゃ重要だよな〜と思います。

人というのは、意識だけで生きるのはなかなか難しいもので、どこかで人との触れ合いの体温を必要としています。

美しい景色を見たとき、美味しい食事をとっているとき、何も話さなくても、空気を感じるだけでも平気ですが、それだではなく、体温を認知するのが必要なのでしょう。

ときどき痛み

2013.8.8

僕はよく体についての話をしますが、今日もその話です。

どこかを痛めると、どうしても痛めた部位をかばう動きを選びがちになります。しかし、普段とは違う慣れない動きや、体にとって不自然な動きになるので、別の部位も痛みが生じてきます。

何でこんな話をしているかというと、今の僕がまさにその状態なんです。腰をかばい、右手をかばっているうちに首に鈍痛がきているぜ。

でも、いつものポジティブな考えをしてみると、痛みを感じているっていうことは体が生きているってことだね。そして、死んだことがないはずだから、生きているから痛みを楽しめるんでしょう。快楽ではなくて、闘える歓びの方が合っているね。

ま、ときどきじゃないと、辛くなっちゃうけどねー。

記憶

2013.8.6

先日、新高島で映画を観て、その後、歩いて横浜まで向かっていました。歩くことを選んだのは、風が気持ちよかったからで、これは良かった。途中で見つけた川の表面が揺れる姿を眺めていると、ここがどこかわからなくなり、空を眺めると鳥が飛んでいた……ように見えた。その辺りの記憶は曖昧だが、ただ、「鳥になりたい」と思ったのは間違いない。一度、飛んでみたいものだね。