Archive for 2013.7

静かにしていると得られる力

2013.7.15

御岳渓谷に行ってました。正確には、渓谷で寝そべって昼寝して、蕎麦や甘味を食べてきただけですが、これが大事。
 
自然パワーは、こちらが動いているとあまり吸収できないような気がしています。山に登って「ヤッター」と言っている時は、登っていないでしょう? それと同じです。だから、自然の力を体の中に入れたいときは、じっとしています。自然に挑戦したいときは動きます。
 
そんで、過去、僕が自然の中で野宿をしていたときも、良いポイントを見つけては、今と同じように、ただじっとしていることを選んでいました。
 
あの頃は、食い物をとらなきゃいけないので今よりも深刻でしたが、基本は同じです。
 
すると、柔らかくて温かい不思議なものが体の中に生まれています。それは丹田とも言うようですね。どうやら「エネルギーを生み出すところ」だそうで、後付けで得た知識なのですが、「ほほ〜、あの感覚だろうな」と納得しました。得た自然エネルギーを、体の中で熟成させていくような働きというかね。絵具を作る時の「練る」感覚みたいな。
 
それにしても、渓谷での天気雨はとても美しい、幻想的な世界でした。

ありますよ

2013.7.14

「生き切った感」について最近は言葉にしなくなったので、この前尋ねられたのですが、いや、ありますよ。
 
それは、個人としての人間の生き方であります。今は社会を変えることを目指し、そこに向かって動き、言葉を選んでいるので、生き切った感よりも、まだまだやらなければならない感の方が強く出ているように思われていたようです。
 
でもね、後者の生き方を選んだとしても、前提は「個人の総体が社会である」という考えがあり、個人の「笑顔で笑って死ねる」という幸福を持っているから出来ることであります。
 
そういう意味では、相変わらず「生き切った感」はあるんです。

ながい、、、

2013.7.13

さっきまで、新作を「完成したぜ」と思えたのですが、いや〜、長い。一枚にかかる時間や労力を計算しても、一ヶ月以上かかるなんて、気が狂いそうになります。まぁね、8ヶ月以上かかるのもあるから、どっちもどっちなんですが、レベルが上がるってこういうことでもあるんだろうね。
 
気付く部分が多くなったり、出来ることが多くなったり、そして、気付くから減らす部分も出てきて、差し引きで良くしていくことの繰り返しです。
 
あぁ、成長するって面白いな〜。
 
(英語のメールも思っていた以上にながい、、、会話の文化だけど、仕事のメールだぜ、、、)

まだまだ

2013.7.12

道徳的なもっともらしいことを言われると、僕はその言葉を信用しません。僕が過去、入院児童として育ち、その後、大人達に差別を受けて育ち、もっとも僕が苦痛を受けた差別が「同情」や「憐れみ」でした。その大人達が当り前に使っていた言葉がそういう類いのものだったのですが、僕の中で育ったのは怒りや憎しみでした。当時の大人達は、そのことに気がつきません。僕がやんちゃを始める前までは。
 
それよりも、救いになった言葉が「やりたいことをやる」です。それは、今の僕が最も大切にしていることでもあります。
 
僕の行動指針となる感情が、憎しみや怒りでなくなった今でも、こういう類いの言葉と出会うと、皮肉的だったり攻撃的になってしまうのは、なくなることがない怒りや憎しみの種と共存できているからでしょう。ん? 都合良く言い過ぎたかな?
 
まぁ、その種を「生きる愛情のエネルギー」に上手く回すことが出来ていたら良いですよね〜。

嫌いな食べ物

2013.7.12

食べ物で好きなものをあげることが、段々と苦手になっているようです。

素早く答えることが出来た頃を思い浮かべると、こだわりを色んなところでもっていました。寿司の食べる順序だとか、◯◯には××だとか。

一方、答えるのが苦手な今だと、「気持ちが冷たいもの」としか答えていないのです。

何かね、蕎麦屋に行ったら「あぁ、ご主人は蕎麦が好きなんだなぁ」と感じられるのが好きです。

そして、お客に主人のこだわりを求めすぎるところって、提供してくれる食べ物に熱量を感じられないんだよね。もしくは、引いてるのかな。