まだまだ

2013.7.12日々のこと

道徳的なもっともらしいことを言われると、僕はその言葉を信用しません。僕が過去、入院児童として育ち、その後、大人達に差別を受けて育ち、もっとも僕が苦痛を受けた差別が「同情」や「憐れみ」でした。その大人達が当り前に使っていた言葉がそういう類いのものだったのですが、僕の中で育ったのは怒りや憎しみでした。当時の大人達は、そのことに気がつきません。僕がやんちゃを始める前までは。
 
それよりも、救いになった言葉が「やりたいことをやる」です。それは、今の僕が最も大切にしていることでもあります。
 
僕の行動指針となる感情が、憎しみや怒りでなくなった今でも、こういう類いの言葉と出会うと、皮肉的だったり攻撃的になってしまうのは、なくなることがない怒りや憎しみの種と共存できているからでしょう。ん? 都合良く言い過ぎたかな?
 
まぁ、その種を「生きる愛情のエネルギー」に上手く回すことが出来ていたら良いですよね〜。

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