Archive for 2013.3

道楽かもね

2013.3.16

ここ数日何をしていたかというと、欧文組版をひたすらしていた。芸大や美大を出ていないので今まで僕は、良いと感じたものを分解して共通するルールを発見したり、歴史を調べた後に自分でも組んでみるという作業を繰り返しては技術と感覚を上げてきた。そしてこの度、何となくわかっていた事柄を骨太に繋げるために、基礎的な作業をひたすらしていた。おかげで(ほとんど合っていたが)不確かなルールが確実になり、もっと良い気の利かせ方が出来そうだ。
 
その中で、『欧文組版 組版の基礎とマナー』を読んでいたら「タイポグラフィは思いやり」というフレーズが出てきて、ひどく感服した。
 
技術と感覚の向上の工程を先述したが、人のために思いついたことをやっているときの向上が一番多く、高かったことに気が付いた。僕は仕事人間だが、それもこれも仕事の内容が「物を作る」ことだからだ。元来、僕は面倒臭がりな性格だが、「○○のため」に動けるのは物を作れる——つまり、僕にとっての道楽があるからだ。鬼ごっこで駆けても胸が苦しくても辛くないのと同じように、物を作るのは肉体を酷使されるけれど辛くはない。物が出来ていく=美しくなっていく過程を作れる。これ以上の興奮はないし、その先に美味い酒、美味いご飯、温かいお風呂、友人や家族がいれば幸せだよね〜。

静かに成長している

2013.3.15

自分の持っている技術が向上すると、身の回りにあるものを作り直したくなる。昨年は基礎力を上げていたので、その都度ポートフォリオや名刺の組版を直したりもしている。けれど「面白いな〜」と思うのは、そういったビジネスツール以外にも、技術向上を感じる度に、部屋にある余分なものを処分したり、整理したりするんです。
 
既に仕事道具、作品、資料、衣服ぐらいしかないですが、それでも整理できる部分が出てくるんです。
 
組版の最小単位を1.75mmにするか、2.25mmにするか、グリッドの可変数は3つ(合計9つ)にするか、4つ(合計12以上)にするか、和文・英文の使い方は適切か……そういった基礎的なことの質が上がると、生活にも余分なものを持たなくても良いことがわかってくるような。
 
そうこうしている内に「白盤」にも書いたが、理想とするもののために努力をして成果をだしながら、大切な家族や友人、恋人たちと食事をしてお酒を嗜むことが人間としての幸せだと腑に落ちてしまい、生き切った感を抱くと共に、情熱メラメラなやりたいことがなくなっている。
 
それでも、その後の成長力は目覚ましいのだから不思議だ。

不思議な体

2013.3.14

この時期は花粉症で鼻水が出てきてしまうが、先日のように集中して絵を観ていたり、制作をしているときには不思議と鼻水が垂れてこない。
 
要は集中力の問題ということだが、四六時中、集中(緊張)していたら一日も保たないだろう。極限に近かったり限界を超えたら、その分、体力(命の時間)が短くなるもんね。自然の摂理。

上野

2013.3.13

『飛騨の円空–千光寺とその周辺の足跡–』展を観に行っていた。展示の事前情報を精密に取っていなかった僕が悪いのかもしれないが、12万体の仏像を彫ったと言われ、5千体を確認されている円空仏。それにも関わらず展示されているのが大小様々な100体前後……。いや、もちろん一体一体別の表情で、作り手のことを想像しては時代を遡って鑿(のみ)の動き方を盗み見ることを楽しみましたが……仏像の背後にある垂れ幕や、円空さんはこういう展示を望んだのだろうか、と考えていた。
 
それよりも、同じチケットで入場できた『日本美術の流れ』展の方が、狩野元信さんや宋紫石さんの仕事ぶりを見れたり、信長達の自筆書状に「うぉー、上手ぇ」、「すげぇ」と閉館時間で追い出される始末。
 
話は変わるが、展示されていた刀剣を観ていて思ったのだが、刀を持った男性にはピストルか気合いで何とかなりそうだけれども、薙刀を持った女性には大砲をもってしても勝てない気がするのは、僕が草食系なのか? いや、確実に謝るしかないっす、全力で。もう、それは全力で。

その後のひかり

2013.3.12

細分化しすぎる昨今の流れを疑問視している私でございますが、最近の不調の原因は自分にそれが起きているような気がしたでやんす。
 
一人で色々な事をやれるようになって、1つの媒体に対しても様々なやり方を使い分けられるようになって、生来の切り替えの早さや作業の早さにかこつけて「フンフンフーン♪」と鼻歌まじりで様々な作業(家事含む)を毎日していたら、細分化による不況感や不安感のようなものが、私自身の体内に起きていたような気がしたんでやんすよ。
 
昨日は朝っぱらのWeb作業以外は公園や居間で昼寝をしていたんですが、何か今の状況を打破する夢を見たような気がしたというか、大切な友人や家族、恋人の笑顔を見たような安らかな気持ちになっているんでやんす。
 
まだ「その後」を明示できていないんでございますが、草をかき分けて光を見つけられるような心地がしているんでやんす。それが人生だもんね。