Archive for 2012.11

白盤更新

2012.11.8

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「生活」
 
「全ては一つ」とわかった後、何をして生きればいいのだろうか。つくることは楽しいし、そこに忠実に生きていけばいいのかもしれないが、「果たして本当にそうだろうか」という疑問が頭をよぎっている。
 
生活品の買出しがてら寺の境内で昼寝をしたり、栄養がなくなってきた靴を磨いたり、線を描いたり、作品をつくったり、依頼事を進めたり……郊外に住んでいてこの生活でいいのだろうか。
 
昨日、約2週間振りに人と会話をした。事務的な話ではなく、たわい無い話をしていた。都会は雑音が多いと予想して、移動中は英会話を聴いていた。2カ所、ギャラリーを覗き、その後、友人のお店に電話をして呑みに出掛けて会話をした。

勝手に俺が「まぁる」と呼んでいる何か。

2012.11.5

いつの間にか、日々飲むものが冷たいものから温かいものに変わり、窓を開け放つのは朝一番と正午あたりのみになったりと寒さに適応している。意識せずに体が欲しいものを選んでいる。陽光に誘われて外に出て、目をつぶり風が導くままに歩く。木に触れ、地に触れ、空を見上げる。全ては一つという感覚に包まれ、制作中にも感じるものが日々の中で感じている。
 
つくっていて良い動きが出来たとき、出会った意識が作品になれると確信出来たとき、やわらかくてあたたかい、まぁるい感じがしている。最近、その感じがカタチをもって見えるようになっている。もしも、この「まぁる」が俺であるのなら、俺は既に作品と同じだったのか? 「生きている」、「愛している」、「死んでいる」の三部作を終えることなく、俺は作品だった? それは…産まれたときからかもしれない。過去を辿っていき、いつの間にか今になっている。産まれたときから、ずっと一緒だったのかもしれない。「まぁる」は俺であり、作品だったし、天も地も含めて全て同じ一つのまぁるい何か。勝手に俺が「まぁる」と呼んでいる何か。
 

 
誰の物でもなく、戦争をしなくてすむ無人島や山で暮らしたい。

まぁる

2012.11.2

厚くなってきた雲を見ていて「美しい」と思った。以前は曇りだと体調がすぐれなかったが、空に浮かぶ厚く濁った色の雲が美しく感じた。もしかしたら、この世の一切のものは美しいんじゃないか、そう思えた。昔は、このような言葉に反感を抱き、美しくないから作品をつくるんじゃないか、などと思ったこともあったような、なかったような。けれど、この世の一切は美しく、それに近づくため、知るために作っていたのであれば、雲も空も他人も一つの繋がっているものなんじゃないか——そう、思った。
 
何のために——何のために生きたのか、何のために作るのか——もしも、違うように見えるものたちが、実は、一つの美しい何かであることを知るために作ったり、生きたのであれば、まぁるくあたたかな気持ちになれるのではないだろうか。実際、そんな気分だ。目をつぶって歩いていても空の美しさはわかるし、風の心地良さもわかる。
 
それにしても、今日は空が綺麗だ。

白盤

2012.11.1

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