Archive for 2011

通り過ぎるか、立ち止まるか

2011.8.7

 諸用を済ませてから強行スケジュールで長野へ。恐ろしく疲れることになる結果となったが、様々な場所で美しい人達と出会った。笑顔の素敵なパン屋さん、麗しき駅員さん、思わず告白しかけた受付嬢さん、面倒見の良い相客さん、そして、不思議な青年。
 
 「ここ、大丈夫ですか?」とボックス席の斜め向かいに座った彼の柔らかな声質と笑顔は、青年とも少年とも言えない不思議な魅力があった。長い乗車時間を利用して仕事の続きをしていたのだが、一段落ついた所で彼に声をかけた。それは、成功だった。僕よりも先に電車を降りたのだが、その車中に交わした会話はとても有意義なもので、会話の端々で見られる彼の話し方と外見から醸し出される雰囲気は、イベントや仕事で棘だらけになった自分の鋭い棘を1つ1つと落としていってくれたのだった。聞けば、桑沢デザイン研究所の学生とのこと。果たして一緒に仕事をする日が訪れるのだろうか?
 
 また、この日は時間をゆっくり使っていたせいか、つまらなく通り過ぎることが出来る人達と会話をすることで、人生を通り過ぎずに立ち止まり、その都度、心の棘が抜けていくのが手にとるように分かったのだった。しかし、時間をゆっくり使い過ぎたせいで、大雨の中を駅まで走り、冷房の効いた社内で凍えるような思いをしたのだが、そこでも面倒見の良い相客さんと出会うのだった。
 
 ※ MP1の展示場所です。
 ヨコハマトリエンナーレ2011 特別提携プログラム BankART LifeⅢ ブースNo.B-2

緩慢な時間がくれたもの

2011.7.31

 仕事や展示の準備を終えてから、東京大学駒場キャンパスで催されていた「TOPOPHILIE トポフィリ-夢想の空間」へ。ちょうど晴れてきて、雨の乾く匂いと重松清さん『星に願いを-さつき断景-』を携えて電車に乗る。話の中に出てくる地下鉄サリン事件を目にする度に「今、起きる可能性も0じゃないんだよな」と思ったり、「今、死なない可能性も0じゃないんだよな」等の思いが意識上に浮かんでくる。普段からこんなことを考えているし、選択を迷って自問自答する時はこのようなことが決定を促すことが多いが、改めて目にすると「そうだよな。。。」と思わざるを得ない。電車のドア横にもたれながら外を見やると、雲の切れ間から覗く太陽がまぶしかったが、虹は出ていなかった。反対側にもたれていた女性が、美人ではなかったが「綺麗だな」と思った。
 
 予約者優先でちょい待ち、泣き落としも効かなそうなので、次の時間に予約を申し込んでから校舎を散歩。すると、グラウンドに出たので簡易スタンドの日陰で待ち惚け。縦笛か横笛かわからないが、吹奏楽部の笛の音と昼過ぎの土曜日のまばらにいる陸上部の流し程度の練習が、時間を緩慢にしてくれる。ぶっきらぼうな笛の音に苦笑が漏れてしまうが、緩やかに流れる陸上部の子どもたちを見ているときにふと気付いた。
 
 子ども?
 
 彼らを見ている時に、彼らを総称しようとすると、「陸上部の少年」という言葉が最初に浮かんできてしまうのだ。いかに僕が学生に間違えられようとも、僕は学生ではないし、あの頃に何を思っていたのかも朧げだ。だから疑問に思ってしまうのだ。走っている彼らから生み出される一歩一歩に、彼らは何を乗せているのだろうか? いや、そんなことは考えていないのかもしれない。自分は学生時代、一枚一枚に何を乗せ、一押し一押しに何を乗せ、一呑みに、一食に、一触に、一セックスに何を乗せ、そして、今は何を乗せているのだろうか? そんなことを考えている内に、時間はあっという間に流れ、「TOPOPHILIE」展の予約時間になっていた。

クレーさん

2011.7.27

 創るというのは、腕を前に伸ばした時に形作られる、腕の周りの空気の形を、目に見えるようにすることだ、と思った時に、「芸術は見えないものを見えるようにする」と言っていたパウル・クレーさんを思い出し、腕のようにすぅっと息を漏らしながら、笑みがこぼれた。言葉が知識を超えて、身になっていたという瞬間だった。じゃあ、今度はチェスでも始めようかなと思ったが、それは違うな。

整理が出来ない人

2011.7.23

 お金の減りが速いので、ちょっと今月何に使ったかと考えてみたら、計算が合わない。いくつかのことが同時期に進んでいるので、何となくは予想がつくのだが、何かが合致していない。それは、僕の記憶力や思考力の問題であり、そこに問題があるということは、近辺の環境や身体がおかしいということでもあるので部屋を見渡してみると、やはり、普段よりも物が2つほど多いことに気付いた。いや、気付いていたのに、見て見ぬ振りをしていたと言った方が正しい。「これはいかん!」と思いたち、即時整理を開始。片付いたら残りの仕事をちゃっちゃと済ませ、サンセット・ビアの時間を悠々過ごそうと思った。加えて、キーボードのタッチの音が普段よりも大きいのも気になっていたのだが、それも先のことと同じことが問題として繋がっているのだ。やはり、整理が出来ていない人の内部機能は散らかっている。

雑草はない

2011.7.19

 深澤直人さんの『デザインの輪郭』を読んでいるのだが、心の琴線に触れることが多く「ふふふ」っと笑みがこぼれる。たとえば、葉っぱの話。この本で初めて知ったのだが、本来、葉は重ならないで成長していっているらしい。しかし、葉が重なっているような木や植物というのは何かしらの異変があるらしく、それを知ってからは頻繁に葉を注視するようになった。歩きながらも葉っぱを見ているので、しょっちゅう車にはクラクションを鳴らされるし、電柱などにも気付かないので「都市は危険が多いな」と思うことが今までよりも増えたのだった。しかし、自然というのはフラクタルだがどれも異なるので、毎回、新鮮味が訪れる。雑草はないし、一括りに出来る害虫も本来はいないのだ。もちろん人間もだ。