緩慢な時間がくれたもの
2011.7.31日々のこと 仕事や展示の準備を終えてから、東京大学駒場キャンパスで催されていた「TOPOPHILIE トポフィリ-夢想の空間」へ。ちょうど晴れてきて、雨の乾く匂いと重松清さん『星に願いを-さつき断景-』を携えて電車に乗る。話の中に出てくる地下鉄サリン事件を目にする度に「今、起きる可能性も0じゃないんだよな」と思ったり、「今、死なない可能性も0じゃないんだよな」等の思いが意識上に浮かんでくる。普段からこんなことを考えているし、選択を迷って自問自答する時はこのようなことが決定を促すことが多いが、改めて目にすると「そうだよな。。。」と思わざるを得ない。電車のドア横にもたれながら外を見やると、雲の切れ間から覗く太陽がまぶしかったが、虹は出ていなかった。反対側にもたれていた女性が、美人ではなかったが「綺麗だな」と思った。
予約者優先でちょい待ち、泣き落としも効かなそうなので、次の時間に予約を申し込んでから校舎を散歩。すると、グラウンドに出たので簡易スタンドの日陰で待ち惚け。縦笛か横笛かわからないが、吹奏楽部の笛の音と昼過ぎの土曜日のまばらにいる陸上部の流し程度の練習が、時間を緩慢にしてくれる。ぶっきらぼうな笛の音に苦笑が漏れてしまうが、緩やかに流れる陸上部の子どもたちを見ているときにふと気付いた。
子ども?
彼らを見ている時に、彼らを総称しようとすると、「陸上部の少年」という言葉が最初に浮かんできてしまうのだ。いかに僕が学生に間違えられようとも、僕は学生ではないし、あの頃に何を思っていたのかも朧げだ。だから疑問に思ってしまうのだ。走っている彼らから生み出される一歩一歩に、彼らは何を乗せているのだろうか? いや、そんなことは考えていないのかもしれない。自分は学生時代、一枚一枚に何を乗せ、一押し一押しに何を乗せ、一呑みに、一食に、一触に、一セックスに何を乗せ、そして、今は何を乗せているのだろうか? そんなことを考えている内に、時間はあっという間に流れ、「TOPOPHILIE」展の予約時間になっていた。