Archive for 2010.5

試験運転

2010.5.10

試験運転です。

http://www.maroon.dti.ne.jp/eguchimasaru/html/index.html

いつも通り、独学で作りました(3日間:25時間くらい)。
こっちにするかは未定です(作品スキルのために練習として制作しました、習作です。その内に、webスキルの習得をしている理由を述べます。クロスメディア、藝術家の在り方、地球規模の作品がキーワードです)。
safari、firefox環境でのブラウザチェックはしたのですが、InternetExplorer環境ではチェックをしていないのでしてくれた方がいらっしゃったら教えて下さい。

スペースで文字を揃えようとするとfirefox環境ではずれてしまうので、スペーサーを挿入したり、スタイルシートを使用して揃えようとしていますが、もっと良い方法や詳しい方法を知っている方がいたら教えて下さると嬉しいです(インデントの後です)。

特殊文字を挿入する方法を知っている方がいたら教えて下さい。

firefox環境ではpointerが外れてしまう所があるみたいなのですが、わかる方がいらっしゃったら教えて下さい。

無駄なソースがあったら教えて下さると嬉しいです。

試験運転なので軽くするために「PORTFOLIO」内の「瑠璃色ー」、「他者の国」はリンクしていません。

「PORTFOLIO」内の個別の作品ページのユーザビリティがもっと高まりそうなのですが、何か良い知恵を持っている方はいらっしゃいませんか?

その他、何か良い知恵をお持ちの方は教えて下さると嬉しいです。
その際、金銭などは差し上げません。慈善でお願いします。

皆さんの力が必要です、よろしくお願いします。

※:アイコン(「PORTFOLIO」、「DOCUMENT」)に長体をつければ? とは既に指摘してもらっています。

http://www.maroon.dti.ne.jp/eguchimasaru/html/index.html

職業の形骸化

2010.5.6

 先日、討論番組を見ていたら、ある政治家(以前、総理大臣にもっとも近い人と言われていた人)が、もう一方の話者に対して「話にならない」と語気を強めて言い放っており、唖然とした。その、もう一方の話者は、経済評論家としてベストセラーを出している人なのだが、そんなことよりも、政治家が対話の場で「話にならない」という言い方を使ってしまっていることに唖然としたのだ。

 政治というのは、集団社会を円滑に進めようとするためのものだ。それ故、時代や文化が異なれば政治的背景が異なるのも当然であり、そういった社会に対しても軋轢が生まれないように説得をする分野である。つまり、説得をするのが政治家の仕事である。にもかかわらず、「話にならない」と笑みを浮かべて、相手を退けようとする方法しかとれない場を見てしまったことに驚いたのだ(しかも、総理に近い人と称されたことのある政治家だ)。そんな場を見て、ふと頭をよぎったのが、「この人は政治という領域で生きようとしているのではなく、政治家というレッテルが欲しいのだな」ということ。レッテルを手に入れるのは以外と簡単だ。資格があるのならば、その資格をとってしまえばいいし、団体に入らなければいけないのならば、その団体に属せばいいからである。しかし、資格をとったり団体に属したりするというのは、その領域で生きることの本質とは何ら関係がない。本質を考えずに資格を手に入れてその職業を名乗っていれば、職業の形骸化が生じる。

 その番組を見ていて、「あぁ、この人はこんな人なのだな」と思った訳だが、しかし、このレッテルを欲しがる人というのはクリエティブと言われる場にも多いと考えられる。アーティストのレッテル、評論家のレッテル、ディレクターのレッテル、デザイナーのレッテル・・・何故、その仕事をするのか、その仕事の本質は何なのかを考えずに進めている人々が多い。そりゃあ、クリエティブワークスをしているって何かカッコいい感じがしますもんね。だからだろうか、この業界にいる人間(いたいと思う人間)と話をするよりも、他業種の方々と話をする方が吸収するものが多いし、生産性があると感じられるのは。いや、しかし、どの業種にも多いのかもしれないのだ。だからこそ、世間というものがおかしいものになるわけだし、と、いうことは、業種を問わずに考えることをしている人と出会えるのは幸運なことなのだろう。

決定的な差

2010.5.1

1.「いいものはいい」
感動やそれに付随してくるものというのは、(相対的に)他の何かと比較をされて感動するものではなく、絶対的に直結しているものだから。

2.「けれども、プロフェッショナルならば自分の関わる活動と様々な人や環境の利潤を考えることが必要である」
自分のためにならないのは本末転倒だけれども、他者の利潤も考えて行動するのがプロだ。

最終的には、これほど単純なことのはずなのだが、何が難しくさせてしまうのだろうか。「こだわり」、「執着」、「プライド」が目や頭を濁らせてしまうのは明白だが、「怯え」や「羨望」もそうだと言える。しかし、その奥深くには他の何かがあるような気がする。難しく思い悩んでいる人や揶揄をする人は、(気付かずに)そんな自分に酔いしれているように見えるのだが、酔いしれる根源は何なのだろうか。業界を問わずにプロと称される人と、そうではない人には上記のことがわからない決定的な差があるように見えるのだ。