職業の形骸化

2010.5.6日々のこと

 先日、討論番組を見ていたら、ある政治家(以前、総理大臣にもっとも近い人と言われていた人)が、もう一方の話者に対して「話にならない」と語気を強めて言い放っており、唖然とした。その、もう一方の話者は、経済評論家としてベストセラーを出している人なのだが、そんなことよりも、政治家が対話の場で「話にならない」という言い方を使ってしまっていることに唖然としたのだ。

 政治というのは、集団社会を円滑に進めようとするためのものだ。それ故、時代や文化が異なれば政治的背景が異なるのも当然であり、そういった社会に対しても軋轢が生まれないように説得をする分野である。つまり、説得をするのが政治家の仕事である。にもかかわらず、「話にならない」と笑みを浮かべて、相手を退けようとする方法しかとれない場を見てしまったことに驚いたのだ(しかも、総理に近い人と称されたことのある政治家だ)。そんな場を見て、ふと頭をよぎったのが、「この人は政治という領域で生きようとしているのではなく、政治家というレッテルが欲しいのだな」ということ。レッテルを手に入れるのは以外と簡単だ。資格があるのならば、その資格をとってしまえばいいし、団体に入らなければいけないのならば、その団体に属せばいいからである。しかし、資格をとったり団体に属したりするというのは、その領域で生きることの本質とは何ら関係がない。本質を考えずに資格を手に入れてその職業を名乗っていれば、職業の形骸化が生じる。

 その番組を見ていて、「あぁ、この人はこんな人なのだな」と思った訳だが、しかし、このレッテルを欲しがる人というのはクリエティブと言われる場にも多いと考えられる。アーティストのレッテル、評論家のレッテル、ディレクターのレッテル、デザイナーのレッテル・・・何故、その仕事をするのか、その仕事の本質は何なのかを考えずに進めている人々が多い。そりゃあ、クリエティブワークスをしているって何かカッコいい感じがしますもんね。だからだろうか、この業界にいる人間(いたいと思う人間)と話をするよりも、他業種の方々と話をする方が吸収するものが多いし、生産性があると感じられるのは。いや、しかし、どの業種にも多いのかもしれないのだ。だからこそ、世間というものがおかしいものになるわけだし、と、いうことは、業種を問わずに考えることをしている人と出会えるのは幸運なことなのだろう。

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