Archive for 2009.3

「依頼」はボランティアではない

2009.3.10

おかげさまで個展の初日も無事に過ごせました。

自分から狙った場所だったけれども、やはり門外漢の人たちが集まる場所での展示というのは約5年振りくらいで緊張していました。そんな中で会場入りしたのですが、帰る頃には盛況だったのではと思える場になっていました。
ありがとうございます。

そして、マスターのマコトさんのフォローもあって僕が在廊していなくても、広い空間の意味合いが伝わっているようで頼もしい存在です。

それから、大学時代の友人が結婚することになり、僕は職人仕事としての頼まれ仕事を初めて引き受けました。
と、いうのも、初個展以降やコンペ受賞以降には職人仕事としての依頼があったのですが、全て断っていました。
企画展というのも1つの頼まれ仕事でもあるのだが、職人仕事としての依頼の大多数が阿漕なものであり、それをしてしまった後の作品たちや活動に黒い影が付きまとうだろうと予測してしまうためと、真摯に職人仕事を貫き通している人たちにもどこか後ろめたさを感じてしまうために断っていたのです。どの分野であっても真摯に突き詰めていく人々に私は惹かれるとともに、一抹の悲しさをみるのです。それは不純なものには表れない高貴さでもあるだろう。

また、そのような際には、作品のこと、活動のことなどを説明し、その上でもう一度依頼しようと思えたのなら連絡を下さい、というような主旨の文を書くのだが、大抵は「残念ですね・・・」というような返事さえ来なくなる。

にも関わらず、多くの人に内緒で、特定の人たちのために作品をつくり、額装をして寄贈することが何度かある。そのような人たちというのは、作品のことや活動のことを理解した上でサポートしてくれた人たちであり、僕に出来ることでお礼が出来ないかと考えた結果、作品をつくることへ至る。
この行為は一銭のお金にもならないとともに、これほどお金という価値が高まってしまった現代日本においてはとてつもなく愚行のようにさえ思える行いなのだが、1つの浄化としてもある。
そして、今回、初めて引き受けようと思えた職人仕事は作品と活動を理解した上での依頼だったので、迷わずに承諾した。

来年、観ることが出来ると思われます。

大切なことと責任

2009.3.8

花粉症の薬のお蔭で四六時中、頭が朦朧としている。

今日は隣の工事もさすがのお休みなので、少し進めたかったが、薬の副作用がきれるまでは創作に向かえず・・・結局、『山のあなた−徳市の恋−』を観る。

僕は良い映画を観ると終わりを迎えるのが名残惜しく感じてしまう。そして、この『山のあなた』もそのような映画だった。
詳しいことは避けるが、僕は生命体のヒトとしては強者でもなければ普通でもない。
成人になり自らそのことを伝えなければ「普通と変わりがない」と言われるのだが、幼い時に大人たちに受けた仕打ちは今でも残っているといえるだろう。それを認め、その行為に悪気がなかったことを認識すると、結局、むなしさだけが残るようになった。それは今でも続いているのかもしれないし、「普通と変わりがない」と述べる所謂「普通の人間」に悪気のない悪をみてしまう。

閑話休題。『山のあなた』の良さは映画の冒頭から始まる。邦画には珍しく、始まりの透明感から「これは良い」と思えるものだった。CMで流れていたときから「観たいな」と思っていたが、その時間がとれなくて機を逃していたのだが、漸く観ることが叶った。

そして、「見えない」ということで共通していることに、「見ること」が叶わなくなってから大切な人や物に気付くことがある。夢の中でしか会うことを許されない関係になってしまった今では、自分だけがいたずらに年を重ね、目が覚めると同時に言いようのないむなしさだけが残る。

けれども今はまだそちら側にいくことは出来ないと、最近は思えるようになった。藝術、美術活動において責任があり、今の子どもたちやそれ以降の世代を担う人々が藝術/美術の世界に進んだ時に現代のようなくだらない事柄に悩まなくても良いようにしたいと、今は思えている。

何の話か少しわからなくなってしまったが、『山のあなた−徳市の恋−』は良い映画だよ、という話でした。

そして、花粉症薬の副作用が切れたらしっかりと創作を進めることが出来ました。

真実記

2009.3.4

搬入作業がほとんど終ったら、すぐに次の作品が待ち構えている。溜まっていた雑務を片付けている間に頭を切り替えて、さぁ取り組もう!というところで・・・ガガガガガガガガガ!ガガガガガガガガガ!!

??????????・・・!?

そう、本日から隣が改装するとのことで昨夜、業者が挨拶をしにきたのだった。そして改装工事が始まったのだった。

久しぶりにヘッドフォンを装着しての創作なのだけれども、インターフォンやら電話やら何もかもに気付かない始末で、これはこれで少し愛想の悪い人になっていないかい?と心配になる。一応、社会人なので。
それと、業者の方が来てくれたときに室内で作業をしていることが多いことを告げたためか、はたまた管理人さんが隣は写真家さんだよと告げてくれたのかはわからないが、思っていたよりかはうるさくない。

話は変わり、家には漫画が2冊ある。「バクマン。」の2巻が出たので、当たり前のように増えてしまいました。昨夜、業者さんから頂いたナボナ?を片手に、「バクマン。」を読み、疲れたときのコーラを飲みながらの、保存完了待ち。何度かPhotoshopの限界を超えたらしく、機械に「がんばれ!」と気合いを送る。炭酸飲料が苦手な自分が炭酸飲料の代名詞、コーラを飲むということは疲れている証拠でもある。26年半生きた真実とでも言いましょうか。

1:28

2009.3.3

搬入作業が終了しました。正確にいうと、初日に一冊ポートフォリオが増えるのでまだ終了ではないのだが、壁面部分は完成しました。三木さん、秦さん、そしてマコトさんありがとうございました。

おそらく、あっけないほど多くの印象を裏切っている内容になっているでしょう。それは初日に増加される一冊を加えることで格段にその性格は強まります。主要な裏切り内容としては、「1.エグチマサルの作風」「2.Barという場所での展示」「3.大判出力の使い方」「4.新宿系写真、現代美術系写真、カルチャー系写真の区分」「5.色の範囲と概念」などが挙げられると思われますが、僕が藝術家に必要な能力に「美しさを判断する能力」を第一に挙げていることが全ての問いへの解答になります。

それで、搬入を手伝ってくれた秦さんが早速感想文を書いてくれた( http://hatataha.exblog.jp/ )。1つ違うとすれば、僕は「真実」という単語の意味の幅が狭いということだろう。僕にとっての「真実」と「真理」が、彼の感想文中には「真実」という単語に集約されているのだ。それ以外の文章は妥当な部分を言っていると思えた。

と言いつつも、この3日間怒濤のさらに上をいくような状態で尚且つ、本日(先ほど)帰宅したら隣の隣の方が僕の家のベランダに猫が行ってしまったとのことでチャイムを鳴らし、その方を家にあげての今なので、より精度の高い状態ではないと予測しているのだが。とりあえず、猫は無事に戻ってきたようなので良かったということと、僕が帰宅してすぐにチャイムが鳴ったということは起きて待っていたということだろうから少し悪いことしたかな、という気持ちがあるということ。

そして、大学時代の先輩の子ども(名前は秘密)がとても優しい子なのだということだ。