大切なことと責任

2009.3.8日々のこと

花粉症の薬のお蔭で四六時中、頭が朦朧としている。

今日は隣の工事もさすがのお休みなので、少し進めたかったが、薬の副作用がきれるまでは創作に向かえず・・・結局、『山のあなた−徳市の恋−』を観る。

僕は良い映画を観ると終わりを迎えるのが名残惜しく感じてしまう。そして、この『山のあなた』もそのような映画だった。
詳しいことは避けるが、僕は生命体のヒトとしては強者でもなければ普通でもない。
成人になり自らそのことを伝えなければ「普通と変わりがない」と言われるのだが、幼い時に大人たちに受けた仕打ちは今でも残っているといえるだろう。それを認め、その行為に悪気がなかったことを認識すると、結局、むなしさだけが残るようになった。それは今でも続いているのかもしれないし、「普通と変わりがない」と述べる所謂「普通の人間」に悪気のない悪をみてしまう。

閑話休題。『山のあなた』の良さは映画の冒頭から始まる。邦画には珍しく、始まりの透明感から「これは良い」と思えるものだった。CMで流れていたときから「観たいな」と思っていたが、その時間がとれなくて機を逃していたのだが、漸く観ることが叶った。

そして、「見えない」ということで共通していることに、「見ること」が叶わなくなってから大切な人や物に気付くことがある。夢の中でしか会うことを許されない関係になってしまった今では、自分だけがいたずらに年を重ね、目が覚めると同時に言いようのないむなしさだけが残る。

けれども今はまだそちら側にいくことは出来ないと、最近は思えるようになった。藝術、美術活動において責任があり、今の子どもたちやそれ以降の世代を担う人々が藝術/美術の世界に進んだ時に現代のようなくだらない事柄に悩まなくても良いようにしたいと、今は思えている。

何の話か少しわからなくなってしまったが、『山のあなた−徳市の恋−』は良い映画だよ、という話でした。

そして、花粉症薬の副作用が切れたらしっかりと創作を進めることが出来ました。

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